徳川義恕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳川 義恕(とくがわ よしくみ、1878年11月1日 - 1946年11月4日)は日本の陸軍軍人、侍従長、男爵。
[編集] 経歴
旧尾張藩主徳川慶勝の十一男。慶勝は1875年に尾張徳川家を再継承したものの、嗣子がなかったために義礼(よしあきら)を養子に迎えた。しかしその後に義恕が生まれたため、義恕は1888年6月に分家して一家を建て、慶勝の功績で男爵となった。
学習院卒業後、陸軍歩兵少尉に任じて日露戦争に出征。1912年、侍従に転じる。
長男義寛も1936年に侍従となり、1985年、侍従長に進んだ。次男義孝は伯爵津軽英麿(ふさまろ)の養子となり、日本中央競馬会顧問、財団法人馬事文化財団名誉顧問、財団法人日本博物館協会会長などを歴任。外孫の津軽華子(義孝四女)は常陸宮正仁親王妃となった。三男義忠の妻礼子(あやこ)は黒田長敬(筑前秋月藩)の長女。長女祥子は北白川宮永久王妃。四男義恭は文学者、装丁家で、三島由紀夫の親友。