尾張徳川家
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尾張徳川家は、尾張にあった徳川氏の一支系で、徳川御三家の一つ。単に「尾張家」とも言う。
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[編集] 概要
徳川家康の九男徳川義直を家祖とし、江戸時代を通じて尾張藩を治めた。徳川将軍家に後継ぎがないときは他の御三家とともに後嗣を出す資格を有したが、七代将軍の徳川家継没後、徳川継友と将軍後継を争って八代将軍に就任した紀州徳川家出身の徳川吉宗により御三卿が創設されたため、結局、尾張家からは将軍を出せなかった。
尾張徳川家の支系(御連枝)として、美濃国高須藩を治めた高須松平家がある。しかし、共に短命の藩主が多く、1799年に尾張徳川家、その翌々年には高須松平家で、義直の男系子孫は断絶してしまい[1]、19世紀以降の尾張徳川家は養子相続を繰り返して現在に至っている。
明治維新後は華族に列し、侯爵を授けられた。越前松平家から養子に入った十九代当主徳川義親は、財団法人尾張徳川黎明会(現(財)徳川黎明会)を設立し、1935年、愛知県名古屋市東区の尾張徳川家の別邸跡地に徳川美術館を開いた。徳川美術館では、源氏物語絵巻をはじめとする尾張徳川家伝来の貴重な文化財を保存し公開している。
[編集] 歴代当主と後嗣たち
- 初代(藩主) 徳川義直
- 光友(二代)
- 二代(藩主) 徳川光友
- 三代(藩主) 徳川綱誠
- 四代(藩主) 徳川吉通
- 五郎太(五代)
- 五代(藩主) 徳川五郎太
- (実子なし)
- 六代(藩主) 徳川継友 (三代藩主綱誠の子)
- (実子なし)
- 七代(藩主) 徳川宗春 (三代藩主綱誠の子)
- (実子なし)
- 八代(藩主) 徳川宗勝 (支藩高須藩三代藩主から養子、尾張藩二代藩主光友の孫)
- 九代(藩主) 徳川宗睦
- 治休
- 治興
- 十三代(藩主) 徳川慶臧 (よしつぐ/田安徳川家から養子)
- (実子なし)
- 十六代(藩主) 徳川義宜 (よしのり/養子、十四代慶勝の実子)
- (実子なし)
[編集] 尾張徳川侯爵家
- 十八代(侯爵) 徳川義礼 (高松松平家から養子、夫人は十七代慶勝の娘)
[編集] 戦後の尾張徳川宗家
- 二十代当主 徳川義知
- 二十二代当主 徳川義崇
[編集] 系譜
凡例 太線は実子、細線・二重線は養子、太字は当主
義直 ┃ 光友 ┣━━━┳━━━┳━━━━━━━━━━━┓ 綱誠 義行 義昌 友著 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ ┃ 吉通 ┃ 義孝 通温 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 五郎太 ┃ ┃ ┃ │ ┃ ┃ ┃ 継友←―通顕 ┃ ┃ │ ┃ ┃ 宗春←―――――――――――――通春 ┃ │ ┃ 宗勝←―――――――――――――――――友淳 ┣━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 宗睦 義敏 勝当 勝起 正国 ∥┗━━┳━━━┓ ┣━━━┓ 斉朝 治休 治興 義柄 義裕 ∥ 斉温 ∥ 斉荘 ∥ 慶臧 ∥ ―慶恕 │ ∥┗━━┓ │ 茂徳 ┃ │ ∥ ┃ │ 義宜←―義宜 │ │ →慶勝
[編集] 関連項目
- 徳川氏
- 徳川御三家
- 尾張藩
- 名古屋市(市章に尾張徳川家の合印を用いる。)
- 名古屋城
- 徳川園
- 徳川美術館
- 徳川黎明会
- 徳川林政史研究所
- 鸚鵡籠中記
- 朝日重章
- 蓬左文庫
- 青松葉事件
- 田中不二麿
- 八雲町
- 八雲神社
- 八雲産業