戸田氏英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戸田 氏英(とだ うじひで、享保14年12月11日(1730年1月29日) - 明和5年4月23日(1768年6月7日))は、美濃大垣藩の第6代藩主。父は第5代藩主・戸田氏長。母は氏長の側室・中村氏。正室は堀田正亮の娘。子に娘(松平輝行室)、娘(戸田氏教室)、娘(板倉勝政室)。官位は従五位下、采女正。
享保14年(1729年)12月11日生まれ。幼名は徳次郎。享保20年(1735年)、父が死去したためにわずか7歳で家督を継いだ。氏英は戸田氏の家臣団整理(延享の永御暇)などを行なっている。宝暦4年(1754年)には奏者番となっている。
明和5年(1768年)4月23日に大垣にて死去。享年40。墓所は岐阜県大垣市西外側町の円通寺。後を婿養子の戸田氏教が継いだ。
|
|
|