教相判釈
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基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
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ウィキポータル |
教相判釈(きょうそうはんじゃく)とは、中国をはじめとする漢訳仏典圏において、仏教の教典を、その相(内容)によって、高低、浅深を判定し解釈したもの。
目次 |
[編集] 漢訳仏典圏(中国、日本、朝鮮、ベトナム)
中国においては仏教の内容があまりにも多様化し、どれが釈迦の真実の教えかということが問題とされた。そのひとつの判定方法として、教相判釈が行われた。 中国の、天台大師智顗(ちぎ、538年 - 597年)が、一切経を五時八教に分け、最澄が日本に紹介した。これを日蓮が採用し、法華経が最高の教えであるという根拠とした。この五時八教説以外にも種々の教相判釈説がある。
しかし、今日では、経典の成立した年代が、有る程度特定され、大乗経典などは、釈尊の直説とは呼べず後代の作(大乗非仏説)であることは明白であって、五時八教説は否定されている。ただし南伝の三蔵も最古の部分でも釈迦の死後100年内に編纂されたと推測されている程度で、実際に釈迦の直接の語録の記述を伝えるものとし確定されている経典は存在しない。
だが、当時は南伝も北伝も経典はすべて釈迦の説いた教えと信じられていたため、教相判釈による以外に方法は無かったともいえる。
[編集] チベット語仏典圏(チベット、モンゴル、金、清)
チベットでは、八世紀末から九世紀にかけ、国家事業として仏教の導入に取り組み、この時期にインドで行われた仏教の諸潮流のすべてを、短期間で一挙に導入、仏典の翻訳にあたっても、サンスクリット語を正確に対訳するためのチベット語の語彙や文法の整備を行った上でとりくまれたため、ある経典に対する単一の翻訳、諸経典を通じての、同一概念に対する同一の訳語など、チベットの仏教界は、漢訳仏典と比してきわめて整然とした大蔵経を有することができた。そのため、チベット仏教においては、部分的に矛盾する言説を有する経典群を、いかに合理的に、一つの体系とするか、という観点から仏典研究が取り組まれた。
[編集] 五時八教説
五時八教説(ごじはっきょうせつ)は、経典の内容が種々異なるのは、釈迦が教えを説いた時期が異なるためと考え、教えを説いた時期を5つに分類し、8つの教えが説かれたとする天台智顗の説。
[編集] 五時
最初に華厳経を説き、その教え難しいため人々が理解できなかったとして、次に平易な阿含経を説いたとする。人々の理解の割合に応じて、方等経、般若経を説き、最後の8年間で法華経と涅槃経を説いたとする。そして最後に説いた法華経が釈迦のもっとも重要な教えであるとしている。
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- 華厳時 21日間
- 阿含時 12年間
- 方等時 16年間
- 般若時 14年間
- 法華涅槃時 8年間
[編集] 八教
- 八教は、化義(けぎ)の四教と、化法(けほう)の四教に分けられる。
[編集] 化義の四教
- 化義の四教とは、人々を導くための形式(儀式など)を義と呼び、釈迦の教えを形式の上から分類したもの。
- 頓教
- 漸教
- 秘密教
- 不定教
[編集] 化法の四教
- 化法の四教とは、教えそのもの(四諦など)を法と呼び、釈迦の教えを内容から分類したもの。
- 蔵教
- 通教
- 別教
- 円教
[編集] 関連項目
- 折伏 五時八教説を元に、法華経が最高の教えと主張すること。