斉藤守弘
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斉藤 守弘(さいとう もりひろ)(齋藤 守弘)(本名は斉藤森造、守弘は植芝盛平より戴いた名前。)は、合気会9段。1928年~2002年5月13日、茨城県岩間町出身の合気道師範、茨城道場道場長。1946年から合気道開祖植芝盛平に師事し以来23年間仕え、開祖没後は合氣神社を守り続けた。
植芝盛平開祖から直々の稽古を23年も受けることのできた唯一の人物(他の高弟の中でも同じぐらい稽古を受けた人物は存在しない)。開祖から武器稽古を受けることのできた数少ない弟子の一人であり、また本部道場での剣・杖の教授を許された唯一の師範でもあった。後に開祖の武器技を整理分類し、誰でも段階を追って学べるように、7の素振り、31の杖、13の杖、20の素振り、合わせ、組太刀・組杖等を考案。ちなみに組太刀等の型そのものは開祖が生存していたときから既に存在していた。
開祖亡き後は茨城道場の道場長として開祖直伝の技を教授した。後に、斉藤氏の教授する合気道の型は、岩間スタイルと呼ばれるようになる。岩間スタイルは相手にしっかりと掴ませたり、力いっぱい当身技をかけてきた状態から技をかける、基本に重点を置いた稽古、いわゆる「固い稽古」に主眼をおいている。そのため基本が身についていない者は力ずくで動かざるを得ないので、他の流れるような動きが中心の合気道の流派からは「岩間スタイルは力技である」との非難を受けることもある。しかし、岩間の合気道が流れの稽古を否定するわけではなく、個体、柔体、流体、気体の順に稽古を進める。ちなみに岩間では「流れの稽古は三段から」であり、開祖も「わしは60年固い稽古して今がある、貴様らに何が出来るか」と安易に流れの稽古をすることを諌められた。
イタリアで講習会を行った際に、立ち技だけで400を超える技が出てきたという。このことは合気ニュースの取材等でもよく強調していた。合気道の技は無限に存在するということの証明であるといえる。茨城道場では多くの外国人を道場に住み込みの内弟子として受け入れていたため、日本国内よりも海外での知名度、普及率が高い。
岩間スタイルは当身を重要視している。合気道の技は投げ技でも、形を変えれば当身技になると言われている。全ての技には3つ以上の当身が入り、「片手取り四方投げ・表技」では3つの当身が存在する。これは、合気道開祖植芝盛平の「合気道は当身が七割。」との口伝を守っているためでもある。ただし、通常の稽古では大部分の当身は意識するに留めることが多い。
他の合気道の流派が多数の本を出版しているのに対し、斉藤氏の著書はそれほど多くは無い。(港リサーチ社、合気ニュースから出版されている技術書など。武術雑誌にも取材を受けている)。
関連書籍・DVDなど
・武産合気道 1~5巻(合気ニュース)
・合気剣 特別講座 (合気ニュース)
・合気杖 特別講座 (合気ニュース)
・柳川 昌弘が読み解く武道家のこたえ BABジャパン出版社