斯波氏経
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斯波氏経(しばうじつね、生没年不詳)は南北朝時代の斯波氏の人物。斯波高経の次男。民部少輔、左京大夫。子は斯波義高。末野・是より出る。
[編集] 家系
清和源氏の一流、河内源氏の名門 足利氏の一門。尾張流足利家の嫡流にあたる。斯波氏を名乗るのは高祖父 家氏とも父 高経ともいう。三管領筆頭となる。(詳細は斯波氏の項を見よ)兄には斯波家長、弟に管領 斯波義将、叔父には奥州斯波氏の祖となる斯波家兼らがいる。
[編集] 系図
八幡太郎源義家-足利式部大夫源義国-足利義康-足利義兼-足利義氏-足利泰氏-斯波家氏-斯波宗家-斯波家貞-斯波高経-斯波氏経
[編集] 生涯
懐良親王と菊池武光らの南朝軍が少弐氏や大友氏を打ち破り、東上しようとした為、幕府によって康安元年/正平16年(1361年)に九州探題に任命され、九州に派遣された。しかしその翌年10月、長者原の合戦で南朝軍に敗れ、大内弘世を頼って周防国に退く。そのまま帰洛し、貞治6年/正平22年(1367年)に出家、道栄と号し嵯峨に隠棲した。
和歌にも優れ、頓阿と親交があった。「新千載和歌集」にも歌が6首入選している。
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