日向妙国寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
妙国寺(みょうこくじ)は、宮崎県日向市細島にある日蓮宗の仏教寺院。山号は興福山。
目次 |
[編集] 由緒
開山は宰相阿闍梨日郷。第二祖は薩摩阿闍梨日叡。
細島港を臨む米ノ山には古くから密教系の山岳信仰がありその道場として明王堂があった。当時を偲ぶものとして鎌倉時代の伊東氏持仏と思われる不動明王像と狛犬が現在も残っている。
高岡本永寺伝では鎌倉末期、日郷が細島にやってきて、当時の細島明王堂住持、薩摩法印を真言から法華に誘引し、細島明王堂(現妙国寺)、日知屋阿弥陀堂(現定善寺)、行縢大日堂(現本東寺)を法華堂に改めたとされている。しかし、その後1333年、薩摩法印は鎌倉で本国土妙寺(現京都山科本圀寺)日能の下で法華経を学んでいることから、実際に日向の地にやってきたのは日郷ではなく鎌倉本国土妙寺の学僧だったと思われる。
1333年、薩摩法印は富士大石寺百貫坊日仙の門下となり、名を日叡と改める。
1334年、仙代問答により大石寺日道の門下となるが、1335年、教義解釈の相違により日道の下を離れ日郷の門下となり日向に帰る。
1341年、日叡は再び保田妙本寺の日郷を訪れる。日郷から西国唱導師として九州開教の委嘱を受け日向に帰り、翌1342年細島法華堂を妙谷寺と号した。
江戸期に入ると細島港は南九州諸藩の参勤交代時の中継地として重要視され幕府直轄領(天領)になる。妙谷寺は幕府役人の宿泊施設として利用され、この頃から妙国寺と通称される。
1876年、明治維新後の宗教法人法により法華宗富士門流は日蓮宗興門派(本門宗)と称することになり、妙国寺は本門宗に包括され当用漢字の制定により妙国寺ではなく妙國寺と表記されるようになった。
1941年、日蓮宗、顕本法華宗との三派合同により日蓮宗となる。
1956年、第37世中林日修により日蓮正宗に改宗するが一年で離脱し、単立宗教法人日蓮宗郷門派と称する。
1976年、第38世黒木日慎により日蓮宗に復帰する。
現在は興福山妙国寺と号する。その名は興尊授福山本国土妙谷寺を由来とするが、檀信徒からは福を興す山として親しまれている。
昭和20年代30年代の混乱により、日蓮真筆曼荼羅を始め先師曼荼羅、古文書等の寺宝を多く紛失したが、日郷真筆曼荼羅と日要真筆曼荼羅は紛失を免れ現存し寺宝となっている。
[編集] 文化財等
- 日向市保存樹 夫婦いちょう(推定樹齢300年)
- 日郷真筆曼荼羅
- 日要真筆曼荼羅
- 伊東家持仏不動明王像
[編集] 伝説
耳川の合戦における島津義久の戦勝祈願
西南戦争時、有栖川熾仁親王による参拝と庭園観覧
正岡子規参拝、庭園観覧
[編集] 行事
1月1日 新年祝祷会
2月節分 星祭節分会
3月啓蟄 水神祭読経会
8月2日 施餓鬼会
11月23日 お会式
12月31日 歳末水行会 浄焚式(お焚き上げ)
[編集] 所在地
- 宮崎県日向市細島373
[編集] 関連項目
カテゴリ: 宮崎県の寺 | 法華系仏教 | 名勝 | 仏教関連のスタブ項目