日本の観光
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日本の観光では、日本国内で行われてきた観光について述べる。
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[編集] 明治以前
中世においては日本は一般民の移動は制限されていた。各地に関所が設けられており、織田信長等により廃止された時期も合ったが、江戸時代には復活しており関所を迂回する関所破りは死罪とされていた。また江戸時代は鎖国制がとられており外国との交流もほとんどなかった。
江戸時代においての観光のステータスは伊勢神宮を参拝することであった。
[編集] 終戦まで
幕末に日本は開国されたが極東に位置していたため外国からの訪問者は少なかった。 日本人が海外に出るのは専ら移民で、海外旅行は一部富裕層に限られていた。 国内旅行は鉄道の発達で国内の移動が容易となり次第に活発になっていった。
[編集] 戦後以降
終戦後、日本は高度経済成長により国民の所得は増加し1964年海外旅行が自由化されたことにより日本人が海外に出国することに拍車がかかった。現在日本は世界有数の観光赤字国である。訪日外国人は増加しつつも出国邦人に比べれば少なく国土交通省はビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)で訪日観光客の増加を図っている。
国内観光は新幹線や高速道路網の整備により国民の移動が容易になり、シーズンごとに各交通機関や観光地は余暇を過ごす国民で混雑する。
戦後の混乱から脱し、高度成長期に入ると人々の暮らしにもようやく落ち着きが戻り、温泉地等の観光地には人々がごった返した。熱海温泉、鬼怒川温泉、別府温泉等の歓楽地型温泉では旅館ホテルの巨大化が続いた。一方、大阪の万国博覧会を契機に各地で博覧会が開催された。その後、東京ディズニーランド(TDL)の盛況にならって、各地に外国や童話等をテーマとしたテーマパーク建設が相次いだが、TDL以外はいずれも不振である。バブル期は総合保養地域整備法(通称リゾート法)の制定もあり、各地にゴルフ場、リゾートホテル、マリーナ等が計画されたが、バブル崩壊により一部の施設以外は、不振が続いている。
[編集] 観光資源
日本には、風景、自然、文化に富んだ観光資源が多々あり、観光資源となっている。(詳細はそれぞれの項目を参照)