日本共産党第6回全国協議会
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日本共産党 第6回全国協議会(にほんきょうさんとう だいろっかいぜんこくきょうぎかい=六全協)とは、1955年7月、日本共産党が武装闘争放棄を決議した会議である。
[編集] 概要
この六全協で北京にいた徳田球一書記長の死が発表され、新書記長に野坂参三が就任。共産党はこれまでの山村工作隊など武装闘争路線に終止符を打ち、所感派と国際派に分裂し、暴力行為や査問と称したリンチも含む激しい対立を繰り広げていた党は統一された。 志賀義雄、宮本顕治ら国際派は、この会議をもって主導権を奪還し、のちに議会闘争を通じて幅広い国民の支持を得られる党へと作り変える一つの契機となったが、新しい綱領と明確な路線を確定するまでに、あと数年を要した。
山村工作隊などの活動に参加していた学生党員は、突然の路線転換に衝撃を受け、党を去った者も少なくない。あるいは、失意のうちに自殺した党員もいる。また、「暴力革命」路線を信奉する急進的な学生党員は、新指導部への不信を募らせ、のちの共産主義者同盟結成や新左翼運動誕生へと向かう種が、六全協によって蒔かれたといえる。