日本基督教団広島流川教会
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日本基督教団 広島流川教会(にほんきりすときょうだん ひろしまながれかわきょうかい)は、広島県広島市中区にあるキリスト教の教会。
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[編集] 歴史
1887年(明治20年)、砂本貞吉が中心となって、アメリカ人宣教師ウォルター・R・ランバスを招聘して創設された。教会創設当時は、現在の日本基督教団神戸栄光教会とともに、アメリカ南メソジスト監督教会の瀬戸内海沿岸の広域伝道拠点の一つであった。当時の教会堂は階下を教会の集会所とし、階上に女生徒を集めて女学校とし広島女学院の母体となった。
1927年(昭和2年)に建堂された教会堂は、ヴォーリズの設計によるゴシック様式の建物であり、1945年(昭和20年)に被爆したが、修復後1971年(昭和46年)まで使用された。教会に「流川」の名称が冠されているのは、1941年(昭和16年)の日本基督教団成立によるものである(教団成立前は、日本メソヂスト広島中央教会)。中四国随一の歓楽街の流川と同じ名前であることに奇異な印象を受けるが、その理由は、教会堂の所在地が流川町にあり、また当時は歓楽街は発展していなかったからである。
原爆投下時に教会の主任牧師であった谷本清は、アメリカのエモリー神学校の出身であり、アメリカメソジスト監督教会との人脈を活かして、教会の復興と平和運動に尽力した。占領下のプレスコードのなかで2回にわたって渡米し、被爆の惨状を訴える講演旅行に招かれ、反核・平和運動の嚆矢となった。その運動は、アメリカの教会・慈善団体と連携した、原爆乙女の渡米治療運動や原爆孤児に対する精神養子運動となって結実し、現在では、ヒロシマ・ピースセンター(広島工業大学内に事務局を設置)によって谷本の名を冠した谷本清平和賞が、毎年平和のために尽力する個人や団体に授与されている。
[編集] 牧師
現在の牧師は森澤一由氏。 歴代の牧師を見ると、関西学院大学の出身者がほとんどである。
[編集] 教会堂
1971年に上幟町に移転・建堂された現在の教会堂は、矩形の礼拝堂の長い辺に聖壇を設け、会衆席が三方から聖壇に向けて置かれている。聖壇に向かって横に広がる礼拝堂としては、日本では初期のものに属し、この種の教会堂としては典型的なものと言ってよい。被爆50周年・戦後50年の年であった1995年(平成7年)には、被爆し黒焦げになった前会堂の十字架と、ひびの入った鐘を礼拝堂に架設している。
[編集] 行事
- 主日礼拝 - 毎日曜日 10:30~
- CS(子供)礼拝 - 毎日曜日 9:00~
[編集] 関連団体
- 流川幼稚園(中区上幟町)
[編集] 交通アクセス
[編集] 関連項目
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