日本航空クアラルンプール墜落事故
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概要 | |
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日付 | 1977年9月27日 |
原因 | 着陸失敗 |
場所 | マレーシア・クアラルンプール |
死者 | 34 |
負傷者 | 45 |
航空機 | |
機体 | ダグラス・エアクラフトDC-8-62 |
航空会社 | 日本航空(JAL) |
尾翼番号 | JA8051 |
乗客数 | 69 |
乗員数 | 10 |
生存者 | 45 |
日本航空クアラルンプール墜落事故とは、1977年(昭和52)9月27日(現地時間)に発生した航空事故である。この事故の翌日には日本航空の同僚機が日本赤軍によってハイジャックされたダッカ事件が発生したため、日本航空は当事故の対応とともに苦慮したという。
目次 |
[編集] 事故の概要
1977年9月27日、羽田空港から香港を経由してクアラルンプールに着陸後シンガポールに向かうフライトプランであった日本航空715便DC-8-62型(機体記号:JA8051)が、悪天候の中クアラルンプール国際空港(旧・スバン空港)に着陸進入中に、空港手前7.7Km付近にあるゴム園(標高約80mの丘)に墜落した。この事故で715便に搭乗していた乗員10名乗客69名のうち乗員8名乗客26名の合せて34名が死亡し、客室乗員2名乗客43名の合せて45名が重軽傷を負ったが救助された。
この種の事故としては生存者が多かったのは、事故機がゴム園の高さ30mのゴムの木をすべるように接地したため衝撃が和らいだため、そして激しい雨のため火災が発生してもすぐに消えたためであった。しかし、死者の多くは機体前部が斜面に激突したために死亡しており、操縦乗員3名が殉職した。
[編集] 事故原因
事故発生時、空港周辺は悪天候であり、空港へのアプローチはVOR/ADF進入を行っていた。そのためマレーシア民間航空局の事故調査では、機長が滑走路を視認することなく最終決定高度以下に降下したために、通常よりも早く降下して空港手前に墜落したと断定された。このようになったのは悪天候により操縦乗員が航路を見失ったことが原因であるとされた。
[編集] 参考文献
- 朝日新聞 1977年9月28日、29日、
[編集] 外部リンク
- Aviation Safety Network (英語)
- クアラルンプール日本人墓地 事故の慰霊碑が建立されている。(日本語)