ハイジャック
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ハイジャック(Hijack)とは武器や脅迫などの暴力的手段を用いて交通手段(航空機、鉄道・船舶やバスなど)を占拠する行為を指す。ただし、日本では、航空機の占拠行為についてのみこの語を用いる場合が多い。ジャックという名前を呼ぶ時にも使われる。
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[編集] ハイジャックの目的
ハイジャックの目的は様々で、政治的迫害による亡命やテロリズムなど目的意識の明確なものから、乗り物自体に対する異常な興味や精神的錯乱といったものにまで及ぶ。
[編集] 「ハイジャック」の由来
駅馬車強盗が駅馬車の御者を呼び止める時に「Hi,Jack!」(やい、おめぇ)と声をかけた事から来ていると言われ、現在に至っている。したがって、対象が船でも車でも、乗り物を乗っ取る行為はすべて「ハイジャック」である。しかし、日本においてはよど号ハイジャック事件の際に「Hi」を「高い」という意味の英単語「high」と間違えて「高い所を飛ぶ=飛行機」の意味ととらえ、「Jack」を「乗っ取り」の意味として捉えたため、その後「バスジャック」、「シージャック」、「カージャック」、果ては放送電波への重畳を「電波ジャック」、番組への乱入を「番組ジャック」と呼ぶなど多数の「ジャック」を使った和製英語が生まれることになった。ただ、同様の誤解を英語圏の人もしているらしく、航空機乗っ取りを描いた「スカイジャック」なる海外小説が実在するように、この後に「スカイジャック(Skyjack)」という言葉も生まれている。しかし、バスや船を乗っ取られた際に「バスジャック」「シージャック」と言われることは英語ではない。
[編集] 主なハイジャック
1930年に初のハイジャック事件が起きて以降、1940年代後半-1950年代後半はいわゆる東側諸国において西側諸国への亡命を目的としたハイジャックが多発した。1960年代後半-1980年代前半にかけてはパレスチナ解放人民戦線(PFLP)や日本赤軍、バーダー・マインホフ・グループなどの極左過激派によるハイジャックが頻繁に起きるようになった。また、近年ではイスラム過激派によるアメリカ同時多発テロ事件における同時ハイジャックがある。なお、ハイジャックを除く民間航空機に対して行われたテロ行為や破壊行為については、航空機テロ・破壊行為の一覧を参照のこと。
[編集] 事件の一例
- 1969年12月10日:大韓航空のYS-11型機が江陵空港を離陸後ハイジャックされ、犯人が北朝鮮に向かうように要求。その後北朝鮮に着陸し、乗客乗員11名と機体は抑留されたまま。(大韓航空機YS-11ハイジャック事件を参照のこと)
- 1970年9月6日:トランス・ワールド航空のボーイング707型機、スイス航空(2001年破綻、スイスエアラインズが引継いでいる)のDC-8型機、エルアル・イスラエル航空のボーイング707型機、パンアメリカン航空のボーイング747型機の計4機の旅客機が同時にハイジャックされ、同乗していた私服警備員が犯人を銃撃戦の末取り押さえたエルアル航空機と、着陸できなかったパンアメリカン航空機以外の旅客機がヨルダンのイギリス軍の空軍基地に強制着陸させられ、その直後にはブリティッシュエアウェイズ機もハイジャックされて同じ空軍基地に強制着陸させられた。着陸後、全ての乗客が解放された後に3機が同時爆破された。収監されている同志の釈放を狙ってPFLPが起こした事件であった。
- 1976年6月27日:テルアビブからパリに向かったエールフランス航空139便がPFLPとバーダー・マインホフの混成グループにハイジャックされ、リビアのベンガジを経由し、ユダヤ人以外の人質を釈放した後にウガンダのエンテベに着陸。ウガンダの独裁者であるイディ・アミン大統領はPFLPを支持し、人質103名を空港ターミナル内に押し込めた。7月3日深夜、イスラエルの特殊部隊は人質を救出すべく、エンテベ空港奇襲作戦を決行。人質2名と強襲部隊指揮官のネタニヤフ中佐(後のイスラエル首相ベンジャミン・ネタニヤフの兄)が死亡したものの、そのほとんどを助け出した。この電撃作戦は3社で映画化され(「エンテベの勝利」「特攻サンダーボルト作戦」「サンダーボルト救出作戦」)世界中で物議を醸した。
- 1977年10月13日:スペイン領マリョルカ島パルマ・デ・マリョルカ発フランクフルト行きのルフトハンザ航空615便(ボーイング737型機)が黒い九月を名乗るドイツ赤軍(バーダー・マインホフ)とPFLPの混成グループにハイジャックされ、ソマリアのモガディシオに着陸させられたが、10月17日、ミュンヘンオリンピック事件をきっかけに設立された西ドイツの特殊部隊国境警備隊第9グループ(GSG-9)が急襲し人質全員を解放した(西ドイツ赤軍ルフトハンザ航空機ハイジャック事件)。
- 1985年6月14日:ギリシアのアテネからイタリアのローマへ向かったトランス・ワールド航空847便(ボーイング727型機)が、地中海上空を飛行中にイスラム過激派を名乗る2人組にハイジャックされ、アメリカ人乗客が1名射殺される。その後、アメリカ政府はこの事件の報復としてリビアの指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィー大佐の自宅を爆撃し、娘を含む親類や側近数名を殺害した。
- 1985年11月23日:アテネ発カイロ行きのエジプト航空648便(乗員・乗客計103人)が国際テロ組織「アブ・ニダル」にハイジャックされ、リビアに向かうよう要求。ハイジャックの目的は、中東問題に対するエジプト政府の姿勢に抗議するためであった。しかし、燃料が不足していたためハイジャック機はマルタに緊急着陸した。着陸後主犯格のオマル・レザックは乗客3人を射殺した。事件発生から25時間後にエジプトの特殊部隊が強行突入し、犯人との銃撃戦の末、ハイジャック機を奪還したが、この銃撃戦で乗客56名が死亡した。犯人は3人で、うち2人は死亡、主犯格のレザックは重傷で発見された。レザックはマルタでの裁判で懲役25年の判決を言い渡されたが、何と服役して7年後に恩赦が行われ釈放された。しかしアメリカ連邦捜査局(FBI)は国際刑事警察機構の協力を得てレザックをナイジェリアで拘束した。現在、レザックはアメリカで終身刑に服している。
- 1994年6月8日:中華人民共和国の福州発広州行きの中国南方航空機がハイジャックされ、犯人は中華民国(台湾)へ向かうよう要求。その後同機は犯人の指示通りに台北の中正国際空港(現台湾桃園国際空港)に着陸し犯人は投降、台湾当局に拘束された。亡命が目的と思われる。
[編集] 日本におけるハイジャック
日本においては、特に1970年の赤軍派によるよど号ハイジャック事件(よど号乗っ取り事件)が初のハイジャックとして有名である。これは日本の運輸政務次官が人質の身代わりになり、犯人の多くが北朝鮮への亡命や逃亡に成功するなど、解決に際して非常に問題の多い事件であった。さらに、この時点ではハイジャック自体を処罰する法律は存在しておらず、この事件を受けて、航空機の強取等の処罰に関する法律、いわゆる「ハイジャック防止法」が成立し施行された。なお、日本航空のハイジャック事件は日本航空ハイジャック事件も参照。
[編集] 事件の一例
- 1970年8月19日:全日空「アカシア便」ハイジャック事件。「ハイジャック防止法」が初めて適用された事件である。
- 1973年7月20日:ドバイ日航機ハイジャック事件。「被占領地の息子たち」と自称するパレスチナゲリラと日本赤軍の混成部隊が、アムステルダム発東京行きの日本航空のボーイング747型機をハイジャックし、リビアのベンガジ空港に着陸。人質を解放後同機を爆破し、犯人はリビア政府の黙認の元逃亡した。
- 1977年:日本赤軍がバングラデシュのダッカでダッカ日航機ハイジャック事件を起こし、この時は日本政府に超法規的措置として、服役中のメンバーを釈放させている。このダッカ事件を契機に、警視庁や大阪府警、一部の道県警では、ハイジャック(他、一般警官や機動隊では対応し切れない事件)に対応する特殊部隊としてSATを組織している。
- 1995年6月21日:羽田空港発函館空港行きの全日空のボーイング747SR型機が元銀行員により占拠される函館空港ハイジャック事件が発生。
- 1999年7月23日:航空機と運航システムに異常な興味を示した犯人が客室乗務員を脅し操縦席に乱入、機長を刺殺して操縦桿を握り、機体を急降下させた全日空61便ハイジャック事件が発生している。
[編集] ハイジャック防止対策
1970年代初頭に過激派などによるハイジャックが頻繁に起きるようになり、各国はその対応に追われ、空港でのセキュリティの強化やハイジャックに対応した特殊部隊の創設などを行った。また、1978年、西ドイツのボンで開催された第4回7カ国首脳会議では、「航空機ハイジャックに関する声明(ボン声明)」が採択された。
1980年代-1990年代にはその勢いは一時的に収まったものの、アメリカで2001年9月11日、ハイジャックされた航空機によるアメリカ同時多発テロ事件が発生したことから、ハイジャックの防止はふたたび世界的課題となる。各国の空港で手荷物・身体検査の徹底や乗客名簿の公安当局への提出、鋏付きソーイングキットやミニ爪切りなどあらゆる“刃が付いた・棒状鋼”の機内持ち込み禁止、果ては機内食のナイフ・フォーク類がスチール製から樹脂製品へ変更されるなど、セキュリティが大幅に強化されるようになった。
英語圏では、ジャック (Jack) という名前が男性の一般的な略称であるため、ロサンゼルス国際空港のように、「Hi, Jack」(ハイ、ジャック)あるいは「Hey, Jack」(ヘイ、ジャック)と挨拶することは避け、不意の混乱を起こさないように呼びかけている場所もある。
2007年2月23日、アメリカ運輸保安庁は、ヒト一人の全身を透視出来る大型X線スキャナーを空港に試験導入(被検者は金属探知で異状ありとされた人物に限るという)。これにより危険物持込や薬物密輸阻止に資するとしているが、アメリカ自由人権協会は“搭乗予定者を裸に剥くも同然であり人権侵害”として議会に完全実施の禁止措置を要請している[1]。
- ^ 米空港、全身透視検査を試験導入 「事実上ストリップ」アサヒコム2007年2月24日付
[編集] 関連項目
- エンテベ空港奇襲作戦
- テロリスト
- 南回りヨーロッパ線
- 航空事故
- トランスポンダ
- 全日本空輸ハイジャック事件(全件記載)
- 日本航空ハイジャック事件(全件記載)