早明浦ダム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
早明浦ダム(さめうらダム)は高知県長岡郡本山町吉野地先と土佐郡土佐町に跨る、一級河川・吉野川本川に建設されたダムである。
独立行政法人水資源機構が管理する多目的ダムである。型式は重力式コンクリートダム、高さは106.0mで有効貯水容量は289,000,000トンと香川県内の全ため池(15,000箇所)の容量を大幅に凌駕し、吉野川水系における水資源施設の中核を為す四国地方最大のダムである。吉野川の治水と四国地方全域の利水を目的に建設され、このダムの水運用は四国地方の経済・市民生活に極めて多大な影響を及ぼす。このため「四国のいのち」とも呼ばれ、四国地方の心臓的な役割を果たす。ダムによって形成される人造湖はさめうら湖と呼ばれ、2005年(平成17年)には本山町・土佐町・大川村の推薦により財団法人ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」に選ばれている。
目次 |
[編集] 沿革
早明浦ダム計画は、1950年(昭和25年)の経済安定本部による「吉野川総合開発計画」の策定より始まる。この時は治水の他水力発電、銅山川分水の計画も含まれていた。この時は早明浦ダムの他下流の小歩危地点・池田地点(現在の池田ダム)、支流銅山川には柳瀬ダムの他岩戸地点(現在の新宮ダム)の計五箇所にダムを建設する計画であった。又、支流の大森川と穴内川に発電用導水路を建設し水力発電を図った。この計画は後に建設省による「吉野川総合開発事業」へと発展するが、この間四国電力株式会社と電源開発株式会社による開発案も提示されており、これを調整したのが建設省計画であった。だが調整機関である「四国地方総合開発審議会」で徳島県が分水の配分に関して反対論を展開、調整が難航した。この間四国電力が審議会を離脱し独自のダム建設を進めた。
建設省案・電発案双方でも早明浦ダムは事業の根幹として進められた。電発案では早明浦ダムを上池(吉野川第一発電所)、小歩危ダムを下池(吉野川第二発電所)として揚水発電を行い、池田ダムを逆調整池として活用する計画であった。だが小歩危ダム建設は名勝の大歩危・小歩危を水没させる事から自然保護を巡り猛烈な反対運動を受け、計画は頓挫し小歩危ダム建設は中止、早明浦ダム単独での発電に縮小となった。一方1960年(昭和35年)には「四国地方開発促進法」が施行され早明浦ダムは吉野川開発の根幹として明確に位置づけられ、同年より予備調査が始まった。
1962年(昭和37年)水資源開発公団(現・水資源機構)が発足したが、吉野川水系は1966年(昭和41年)に水資源開発水系に指定され「吉野川水系水資源開発基本計画」(フルプラン)が作成された。これに伴い香川用水・吉野川北岸用水・愛媛分水(銅山川分水)・高知分水計画が盛り込まれ、その水源として早明浦ダムが位置づけられて事業主体が公団に移管された。
このダムの建設に伴い大川村の主要集落、一般387世帯、公共56棟と百数十ヘクタールあまりの田畑が水没した。渇水時には水没した旧大川村役場が湖底から姿を現し、渇水状況を象徴するものとなっている。この庁舎はダム建設に反対する大川村が抗議意思の強さを示すものとして、ダム建設計画後にあえて想定水没地に建てたものである。これら主要集落が水没したことで、大川村の過疎化はより加速することになった。また、高知県側の犠牲が大きいにも拘わらず、高知県が得られる高知分水への利水率はわすが4%しかなく、地元民に対しての分水率はゼロであったため、公団側と激しく対立した。こうした反対住民に対する補償交渉が進められ妥結、1975年(昭和50年)に池田ダム・新宮ダム・香川用水と同時に完成した。
[編集] 目的
早明浦ダムには洪水調節、不特定利水、上水道、工業用水、かんがい、水力発電の目的があり、多目的ダムの中でも用途が広い。
治水目的では吉野川水系工事実施基本計画に基づき吉野川下流沿岸部の洪水調節を目的とし、岩津地点における計画高水流量(過去最大の洪水流量を基準とする)毎秒17,000トンを毎秒15,000トン(毎秒2,000トンのカット)に低減する。ダム地点でも毎秒2,000トンをカットし計画高水流量毎秒4,700トンの内毎秒2,700トンの洪水を貯留する。これは多目的ダムの中では大容量である。不特定利水については徳島県三好市池田地点を基準とし通年で毎秒15トン、農繁期には毎秒43トンを放流し慣行水利権分の農業用水を吉野川沿岸の農地に供給する。
利水目的では香川用水・吉野川北岸用水・愛媛分水・高知分水を利用し四国四県へ供給する。かんがい用水は高知県を除く三県に対し平均で通年毎秒3トン、農繁期に毎秒11.96トンを供給。上水道・工業用水道は四国四県にそれぞれ一日量で440,000トン、1,420,000トンを供給する。利水配分率は、下流域である徳島県に48%、香川県に29%、愛媛県に19%、高知県に4%となっている。早明浦ダムによる各新規用水の総合開発量は年間863,000,000トン。とりわけ、香川県には大きな河川が無く、同県の水利用は、水道使用量の50%を占める香川用水へ依存している所が大きい。香川用水は、この早明浦ダムを中心として開発された新規用水であり、香川県の水利用において早明浦ダムの果たしている役割は非常に大きいといえる。しかし同時に早明浦ダムの渇水は、まず香川県の水事情に大きく影響する。
水力発電は1952年より吉野川本川の水力発電計画に参加していた電源開発による早明浦発電所(認可出力:42,000kW)の他、四国電力による高知分水を利用した水力発電を行う。即ち大森川に分水第一発電所(認可出力:26,600kW)、仁淀川水系上八川川に分水第二(7,500kW)・分水第三(10,900kW)・分水第四(7,600kW)の各発電所を建設、早明浦ダムより高知市方面へ分水する水を利用した水路式発電所と取水ダムによる発電が行われている。
[編集] 完成後も続く課題
だが完成直後の台風に伴う豪雨で、ダムの洪水調節機能が「異常出水」という形で直下流の早明浦発電所や川沿いの民家などに被害を与えた。この為減勢工の改良工事等を行いこれに関連する補償として29戸が移転した。更に貯水池内の濁水問題が起き、これに対処する為表面取水設備を施行し下流への濁水放流防止を図って1979年(昭和54年)には全事業を完了した。
この間1978年(昭和53年)には支流の瀬戸川・地蔵寺川の取水口・導水路が完成して鏡川の鏡ダム(重力式コンクリートダム、高知県営)へ上水道等を導水する高知分水が完成した。その後1990年(平成2年)には吉野川北岸用水が、2000年(平成12年)には富郷ダム完成により愛媛分水事業も完成し、吉野川総合開発事業は完了した。
以後、四国四県の水がめとしてダムが果たしている役割は極めて大きく、四国における市民の日常生活・経済活動に不可欠な存在となっている。然し1994年(平成6年)と2005年(平成17年)の大渇水においてはダムの貯水量が大幅に低減、水没した旧大川村役場が姿を現しダム渇水のシンボルになってしまった。特に2005年の渇水ではダム貯水率が0%となり連日水不足がニュースや新聞のトップ項目に挙げられる等全国的にも話題となった。この間国土交通省や流域自治体は四国電力に発電用ダムからの緊急放流を要請し、大橋ダムや穴内川ダム等から緊急放流が行われた。早明浦ダムでも発電所を管理する電源開発に緊急放流を要請、放流が行われた。9月5日の台風14号による降雨で貯水率が1日にして100%に回復し事態は収拾された(このとき、早明浦ダムへの流入量は計画洪水量を遥かに超えた5000トン毎秒以上が流れ込んだが、放流をせずに全てを貯水した。渇水でなければ危ないところだったかもしれない)が、利水分配を巡り香川県と徳島県が対立するなど、後に禍根を残した。
[編集] さめうら湖
自然湖も含めて四国地方最大の面積を誇る早明浦ダム湖(さめうら湖)周辺はダム湖百選に選ばれるなど景勝に富んだ場所であるほか、ブラックバスの釣り場や、カヌー・ボートなどのアウトドアスポーツといった観光資源も進んでいる。この為観光客や釣り客が多く訪れる高知県の観光地の一つであり、周辺には様々な観光施設が軒を連ねている。
又、付近を通過する国道439号は、大歩危・小歩危・祖谷山方面と石鎚山・松山市・四万十川方面を結ぶ観光道路としても重要な役割を果たしている。だが、所々未整備区間が存在しており早期の改善が地元より望まれている。
[編集] 参考文献・資料
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 独立行政法人水資源機構池田総合管理所 - 貯水率など
- 国土交通省四国地方整備局(早明浦ダム諸元) - 四国の各ダムの状況など
- 水情報国土データ管理センター(国土交通省河川局)
- ダム諸量データベース(早明浦ダム) - 基本諸元、水文水質観測データ統計など。
- ダム環境データベース(早明浦ダム) - ダム湖水辺における生物調査データベース。
- ダム便覧(財団法人日本ダム協会) 早明浦ダム
カテゴリ: 重力式コンクリートダム | 高知県のダム | 四国地方 | 水道施設