晁蓋
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晁蓋(ちょうがい)は中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。
梁山泊の初代首領。渾名は托塔天王(たくとうてんのう、鉄天王)で、谷川の妖怪を静めるために石工が彫り上げた大きな宝塔を一人で持ち上げて台座に据えたことに由来、仲間内からは晁天王とよく呼ばれる。年齢は登場時30代後半から40代前半くらい。がっちりとした体格で怪力の持ち主、朴刀の達人でもあり分別もある。独身。 宋江と同じく義侠心に厚く人に分け隔てなく接する人物。ただ柔和な宋江に比べ厳格なところがあり多少怒りっぽい。梁山泊に豪傑108人が揃う前に戦死してしまうために百八星には含まれないが、初期の梁山泊は晁蓋の力によってまとめられたと言ってよく、梁山泊にとっての最重要人物の一人とされる。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] 生涯
鄆城県出身で東渓村の名主(保正)。武術を好み義に厚い好人物で、困っている人には必ず手を差し伸べ、貧しい人に施し、天下の好漢たちと交わり、頼ってくる者は屋敷に泊め路銀を出してやるなど世間に広く名が知れていた。
ある時、晁蓋を訪ねてきた劉唐から、北京の留守司の梁中書から宰相の蔡京に送られる誕生日祝いの品(生辰綱)は、民から搾り取った不義の財であるから奪ってしまおうと持ちかけられる。晁蓋は呉用と相談し、阮小二・阮小五・阮小七・公孫勝・白勝を仲間に加え、呉用の計略で棗売りに変装して生辰綱輸送隊にしびれ薬入りの酒を飲ませることで見事に生辰綱を奪取する。
その後、白勝が官憲に捕まって生辰綱奪取が露見したが、役人だった宋江は晁蓋と義兄弟の契りを結んでいたためいち早く晁蓋に注進し、晁蓋らは逃亡した。晁蓋は梁山泊に逃れて仲間入りすることを考えたが、当時の梁山泊の首領の王倫は、晁蓋が優れた人物なので首領の地位を奪われるのではないかと恐れ、仲間入りを拒む。しかし、すでに梁山泊入りしていた林冲が王倫の狭量さに失望して王倫を殺し、晁蓋を新首領として迎え入れた。
その後は首領として梁山泊の取りまとめにあたり、江州で宋江を救出戦した後は、防衛戦を除き軍を率いる事はなかった。しかし梁山泊を倒して名を上げることを目的とする曾頭市の曾家の挑戦を受けると、それまで留守を守ることの多かった晁蓋が自ら出陣する。しかし、曾家の武術師範の史文恭が放った毒矢に当たってしまい、史文恭を倒した者を次の首領にという遺言を残して死亡する。
死後は宋江の病気を夢枕に立って知らせ、梁山泊に敗れ逃走を図った史文恭を妨害するなどの霊験を現し、百八星の集結後は忠義堂の奥に祭られ、百八星よりさらに上の梁山泊の守護神という位置づけとなった(ちなみに彼をその渾名の示すように「托塔天王」すなわち「毘沙門天」の転生とする見方もあるが作中では言及されない)。
[編集] 文化大革命と晁蓋
ちなみに、1970年代初頭にかの毛沢東が革命の指導者(少なくとも彼はそう考えていた)でありながら神様に祭り上げられ一線から弾き出されてしまった晁蓋と自分を重ね合わせたため、文化大革命時、大々的な『水滸伝』批判のキャンペーンを繰り広げられた。