智猛
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基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
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経典 |
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智猛(ちもう、4世紀末~453年頃)は、中国五胡十六国時代の僧。京兆郡新豊縣の人。求法のために中央アジアを経由してインドへと旅した。
生年は不明だが4世紀末葉とされている。幼少より僧侶となり後秦の弘始六年(404年)、同志の僧15人とともに常安(長安)を発つ。途中のパミール高原では、同行の僧のうち9人が引き返している。インドではカシミール、マガダ国、釈迦の出身地である現在のカピラヴァスツなどを訪れ、南インドも周遊している。424年にインドよりの帰途につき、433年頃に敦煌方面に帰着したことが史料より確認できる。
翌434年、北涼支配下の涼州張液へと入り、『出泥洹本』20巻を訳出している。437年、劉宋の成都に移り、さらに宋都建康へと移る。439年(元嘉十六年)7月7日、鍾山の定林寺で自傳(『遊行外国傳』)を造る。454年に成都で死去。
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