ノート:暗号関係の書籍の一覧
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>概説(和)
>一松信、『暗号の数理 - 作り方と解読の原理』、ブルーバックスB421、講談社、1980年3月20日、ISBN 4-06-118021-5 (1977年のRSA暗号の発表をうけて、公衆暗号系(ママ)について多く記述されている。前半は、暗号の歴史や種類を紹介)
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- 手元の第3刷では
「公開鍵暗号とは、(略)public key cryptographyに対する拙訳である。(略)近年では公衆暗号系という語が定着しつつあるが、この本ではとりあえず前記の拙訳を使わせていただく。」
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- として、全般に公開鍵暗号として記述されています。「公衆暗号系(ママ)」とは何刷からの引用でしょうか?Walks 2006年9月21日 (木) 17:10 (UTC)
- この部分を加筆したSinaです。18版(1994.12.22)を参照しています。上記の記述(p126)は18版でも同じです。「公衆暗号系(ママ)について多く記述されている」は、はしがき(p5)の最後の行「そしてこの本の主力を、近年注目されてる新しい公衆暗号系の解説におくことにした」の部分が出典で、著作権侵害しないように文章は書き直したものです。「公衆暗号系」という言葉だけを残したのは、「公衆暗号系」という訳語がこの本が出版された80年頃には定着しつつあって、そして今は無いという点に興味をひかれたためです。でも今読み返すと適切ではないかもしません。推敲されたいようでしたらどうぞ遠慮なくよろしくお願いします。Sina 2006年9月23日 (土) 01:15 (UTC)
- ちょっと教えて下さい。1980年代の「公衆暗号系」という訳語の使用頻度について『暗号の数理』の記述以外に何か情報源をお持ちでしょうか? 公開鍵暗号の記事冒頭部分に記述すべき程のトピックスなのか?(訳語について論争があったりしたのか?)という点と、果たして「一般的であった」と言えるのか?という点について確認したいためです。「公衆暗号系」という訳語を使用している書籍は『暗号の数理』の他には、1冊か2冊あったかと思いますが・・・。Sina 2006年10月12日 (木) 16:02 (UTC)
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- 情報処理学会電子図書館で簡単に検索したところ、(執筆者の偏りがあるのではっきりとは言えませんが)1983年を境に「公衆暗号系」から「公開鍵暗号」へと移行したようです。特に派閥化などもなく、仮訳から本訳へと乗り換えられたのだと想像します。確かに重要な項目ではありませんが、末尾に一段設けて記述する方がより大事に思われ、今回「公衆暗号系」の単語を付記するにあたりあの位置を選びました。
- 「一般的」については筆が滑りました。この語を抜いて訂正し、論文のほか当時の書籍や雑誌をあたって改めて書き直します。Walks 2006年10月15日 (日) 15:05 (UTC)
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- Sinaも少し調べてみました。情報処理学会の会誌では、Walksさんがお調べになったように、「公衆暗号系」は1981年1月に2件、1983年4月に1件の計3件あるのみで、「公開鍵」は1983年7月と11月、そしてそれ以降現在まで使用されているようです。信学技報を見てみたところ、タイトルに「公開鍵」が使用されている発表がIT81-5(1981年)とIT82-24(1982年)の2件見つかりました(全件検索していませんので他にもある可能性はあります)。1982年の信学論(D)にも1件ありました。『暗号の数理』が出版されたのは1980年なので、もう少し遡って1970年代末はどうだったのか分るとよいと思います。時間と機会がありましたらどうぞよろしくお願いします。Sina 2006年10月15日 (日) 16:58 (UTC)
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[編集] 移動のお知らせ
ここにあったメモを元に長田順行を作成しました。過去ログ参照:[1] Sina 2005年11月20日 (日) 10:19 (UTC)
以下のメモを元に釜賀一夫の記事を作成しましたTuve74 2006年11月5日 (日) 01:03 (UTC)
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- Sinaさん メモ削除お手数掛けました(過去ログ参照番号が判らなかったので消せませんでした) 次は?となりますと相当に厳しいですね。陸軍では原久氏でしょうが、スタブ未満になりそうです。例えば釜賀一夫に上司部下、先輩後輩を記載する(赤リンクにはなりますが)のはどうでしょうか? Tuve74 2006年11月5日 (日) 09:58 (UTC)
[編集] メモ 原久
原久(はら ひさし、1901年(明治34年)-1974年(昭和49年))は、「陸軍暗号の神様」と呼ばれる日本陸軍参謀本部の中佐(終戦時)であり、戦後も陸上自衛隊で暗号業務に従事した。
- 日本で始めて無限乱数式暗号を考案し、実用化に務めた。
- 参謀本部暗号班の釜賀一夫、前田長蔵と共に「陸軍暗号の三羽烏」とも呼ばれた。
[編集] 経歴
- 出身は神奈川県伊勢原市
- 陸軍近衛歩兵第二連隊に入隊
- 1929年7月に陸軍士官学校の第41期を首席で卒業
- 1929年10月に歩26連隊付少尉
- 1932年に通信学校の暗号学生となる
- 1936年に北海道大演習で無限乱数式を採用し、高い評価を得た。
- 1937年に参謀本部付(暗号班)
- 1941年3月に少佐となる
- 1943年7月に中央特殊情報部の研究部員
- 1945年3月に中佐
- 1945年4月に情報部の5課長