曹彰
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曹彰(そうしょう、? - 223年)は、中国の三国時代の魏の皇族武将。字は子文。
[編集] 略要・人物
[編集] 概要
曹操の四男(卞氏の子としては次男)。魏の初代皇帝・曹丕の同母弟。また、曹植、曹熊らの同母兄である。子は曹楷、孫は曹温(邯鄲王)・曹悌(梁王)・曹詢(秦王)ら。一説では、曹芳(斉王、邵陵厲侯)も孫だと言われる。
[編集] 生涯
彼の腕力は人並み以上に優れており、猛獣と格闘することができたと言われるほど武勇に長けていた。代郡の鳥丸討伐などの異民族の反乱鎮圧で、田豫と共に大いに活躍し、父の曹操から「黄鬚」(こうしゅ、虎髭を生やしたような勇者の称号)と大いに賞賛された。また、ある説では曹彰は他の兄弟同様に文才もあり、彼は兄の曹丕と同様に文武両道に秀でた人物だという見方も窺える。後に父が魏王に就任すると、鄢陵侯に封じられた。
だが、父・曹操の死後、兄の曹丕にその優れた武勇を警戒されて冷遇される。これは一説に、同じく曹丕に疎まれていた曹植と仲が良かったため、曹彰も疎まれたと言われている。後に曹丕が皇帝として即位すると、任城王に昇格となったが、兄に冷遇されたことのショックからか223年に若死にした。その死後、威王と諡号を遺贈された。