曾幾
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曾幾(そう・き、1084年-1166年)は中国・南宋の官僚、詩人。字は吉父、自ら茶山居士と号する。
[編集] 略伝
灨州(江西省)出身で、のち洛陽に移住する。特命によって吏部考試を受けて太学上舎を賜り、校書郎、のちに河南の少尹となる。高宗の時代に江西・浙西の提刑を歴任。兄の曾開が抗戦を主張し宰相の秦檜と対立したために連座して免職され、転運使判官の職があったが固辞する。江西の茶山寺に閉居していたが、秦檜死後、浙西の提刑に復帰し、台州(浙江省)の知事となる。のち秘書少監となり『神州宝訓』編纂の旨を受け、書を完成させて礼部侍郎となる。たびたび隠退を申し出て許され玉隆観の提挙となり1164年に官を辞する。
[編集] 詩と著作
曾幾は学を劉安世と胡安国より承け、詩では杜甫と黄庭堅をきわめて賞賛し、『山谷集』を繰り返し読んだという。また韓駒と呂本中に詩作について教えを受けたことがあった。呂本中とは子女を婚姻させるほど親しく、陸游は曾幾の詩学の弟子である。彼の詩は呂本中よりも軽快で楊万里の先駆けを為している、と評される。著作の『易釈象』は散逸したが、『茶山集』8巻がある。
蘇秀道中 自七月二十五日夜大雨三日 秋苗以蘇 喜而有作 | |
一夕驕陽転作霖 | 一夕 驕陽 転じて霖(ながあめ)となり |
夢回涼冷潤衣襟 | 夢は回り 涼冷 衣襟を潤す |
不愁屋漏床床湿 | 屋が漏れて床床湿(うるお)うを愁えず |
且喜渓流岸岸深 | 且らく喜ぶ 渓流れて 岸岸深きを |
千里稲花応秀色 | 千里の稲花 応に秀色なるべし |
五更桐葉最佳音 | 五更の桐葉 最も佳音なり |
無田似我猶欣舞 | 田なきこと我のごときも 猶お欣舞せり |
何況田間望歳心 | 何ぞ況んや田間に歳(みのり)を望むの心をや |