有馬義貞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有馬 義貞(ありま よしさだ、大永元年(1521年) - 天正4年12月27日(1577年1月15日))は肥前の戦国大名。有馬晴純の嫡男。
1552年、父から有馬氏の家督を譲られると同時に、室町幕府の相伴衆ともなった。しかし、キリスト教に対する姿勢の違いから来る父との確執や大友宗麟や龍造寺隆信の圧迫を受けて次第に勢力を失ってゆく。
その一方で、南蛮貿易で大きな利益を築き上げ、ドン・アンデレという洗礼名を持つキリシタン大名ともなった。家臣団の中にも、義貞の影響を受けてキリシタンになった者が多かったと言われている。
ルイス・フロイスは「詩歌に造詣深く、書道に巧みで、為政者としては老練慎重かつ賢明である」と『日本史』で書き記しているが、これはキリシタンとなった義貞を過大評価しているようにも思える。