木下俊量
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木下 俊量(きのした としかず、寛文12年(1672年) - 享保14年11月13日(1730年1月1日))は、豊後日出藩の第4代藩主。父は第3代藩主・木下俊長(俊量は三男)。母は朽木稙綱の娘。正室は加藤明英の娘。側室に黒川氏、中村氏など。子に俊在、長監、俊能、俊泰、娘(相良長興室)、娘(久留島光通室)。官位は従五位下。式部少輔。
幼名は万千代。宝永4年(1707年)9月12日、父の隠居で後を継いだ。藩政においては長河原・富水池の治水工事を行なって成功している。享保14年(1729年)11月13日、58歳で死去し、後を子の木下俊在が継いだ。法号:徳音院。墓所:東京都港区高輪の泉岳寺。
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