朽木稙綱 (土浦藩主)
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朽木 稙綱(くつき たねつな、慶長10年(1605年) - 万治3年12月13日(1661年1月13日))は、江戸時代前期の大名。朽木元綱の三男。下野国鹿沼藩主、常陸土浦藩主。朽木宣綱の弟。正室は稲葉正成の娘、継室は安藤重長の養女(志水忠宗の娘)。子に稙昌、則綱、三浦安次室、内藤政親室、木下俊長室。官位は従五位下、民部少輔。
元和4年(1618年)9月11日、3代将軍徳川家光に仕え始める。元和9年(1623年)に民部少輔に叙任された。寛永8年(1631年)5月21日には小姓組番頭に任命され、翌々年の寛永10年(1633年)の7月24日には、書院番頭となった。寛永12年(1635年)11月20日、再び小姓組番頭となり、若年寄を兼任した。
この間、正保4年(1647年)12月14日に加増を受けて下野鹿沼藩主となる。慶安2年(1649年)2月19日に若年寄を免ぜられ、3万石をもって常陸土浦藩に転封。承応元年(1652年)11月1日、奏者番に任ぜられた。
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