木下利恭
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木下 利恭(きのした としやす、天保3年7月24日(1832年8月19日) - 明治23年(1890年)3月29日)。備中国足守藩の第11代(最後)の藩主。父は第10代藩主・木下利愛(利恭は次男)。母は山内豊策の娘。正室は丹羽長富の娘。官位は従五位下。石見守。備中守。明治期には子爵に列せられる。養嗣子に、大正時代の歌人として有名な木下利玄がいる。
1832年7月24日生まれ。幼名は三之丞。1847年11月23日、父の隠居により後を継いだ。1868年の戊辰戦争では、旧幕府軍に与して箱館まで転戦した板倉勝静の藩である備中松山藩の追討に参加した。1869年、版籍奉還により藩知事となり、1871年7月の廃藩置県により免官となる。1890年3月29日、59歳で死去した。法号:大信院殿敬翁利恭大居士。
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