木村荘八
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木村 荘八(きむら しょうはち 1893年8月21日 - 1958年11月18日)は東京府出身の洋画家、随筆家。
牛鍋チェーン店"いろは"経営者木村荘平の妾腹の八男として、東京市日本橋区吉川町両国広小路(現在の東京都中央区東日本橋)の"いろは"第8支店に生まれる。父の死後、浅草の"いろは"第10支店と京橋の"いろは"第3支店に移り、帳場を担当しながら美術家を志す。著書『東京の風俗』所収の自伝的文章「私のこと」によると、旧制京華中学校4年生の頃から学校へはほとんど行かず、芝居見物と放蕩に熱中したという。
旧制中学卒業後、1911年、白馬会葵橋洋画研究所に入学。1912年、岸田劉生と知り合い、ヒュウザン会の結成に参加。1915年、劉生たちと共に草土社を結成、1922年まで毎回出品する。1918年からは二科展や院展洋画部にも出品。院展出品作『二本潅木』で高山樗牛賞受賞。
1922年、春陽会創設に客員として参加。1924年、春陽会会員。
1928年、『パンの会』を発表。1937年、永井荷風の新聞連載小説『濹東綺譚』に挿絵を描く。