本多貞次郎
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本多 貞次郎(ほんだ ていじろう、安政5年(1858年) - 昭和12年(1937年))は、日本の実業家、政治家。工部省職員、京成電気軌道株式会社初代社長、千葉県議会議員、衆議院議員。
[編集] 略歴
- 1858年(安政5年) - 下野国宇都宮(現在の栃木県宇都宮市)藩士本多良之助の次男として生まれる。
- 1876年(明治9年) - 東京へ上京
- 1882年(明治15年) - 工部省に入省。東海道線鉄道工事の監督となる。
- 1903年(明治36年) - 東京市街鉄道(馬車鉄道)に工務課長として入社。
- 1909年(明治42年) - 京成電気軌道株式会社の専務取締役となる。
- 1915年(大正4年) - 市川まで京成電車が開通。
- 1917年(大正6年) - 千葉県議会議員、千葉県議会議長となる。
- 1920年(大正9年) - 衆議院議員となる。
- 1921年(大正10年) - 千葉まで京成電車が開通。京成電気軌道株式会社の社長となる。
- 1925年(大正14年) - 市川町長となる。
- 1927年(昭和2年) - 国府台学院女子高等学校の創立援助をする。
- 1937年(昭和12年) - 病気の為、市川で亡くなる。享年79。
[編集] 関連項目
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