李鍾範
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李鍾範 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이종범 |
漢字: | 李鍾範 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
イ/リー・ジョンボム |
ラテン文字転写: | Yi Jong-beom |
本人表記: | Lee, Jong Beom |
李 鍾範(イ・ジョンボム、1970年8月15日 - )は大韓民国の光州市出身のプロ野球選手。主なポジションはショート、またはレフト。右投げ右打ち。建國大學校卒。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1993年ヘテ・タイガースに入団。1年目からレギュラー選手として出場し、1994年には首位打者と盗塁王を獲得するなど、主力の一人として活躍。1998年、移籍金4億5000万円、年俸8000万円(推定)の条件で中日ドラゴンズに移籍した。日本での登録名は「リー・ジョンボム」で、ファンからはユニフォームの名前(J.LEE)から「ジェイリー」と呼ばれた。当時中日には、宣銅烈とサムソン・リーが在籍しており、韓国三銃士と呼ばれた。一時、自身の打撃不振の影響で円形脱毛症に悩まされていた。
バットコントロールの良さや盗塁王3度の実績を評して『韓国のイチロー』(※李は右打者)と呼ばれるほどであった。その実績も買われて、移籍1年目の開幕戦にスタメンで出場を果たした。俊足好打の1番打者であったが守備には問題が多く、この年67試合で12失策を数えた。6月、阪神・川尻哲郎から受けた右肘への死球により骨折し長期離脱。シーズン中に復帰するものの死球への恐れからか以前のような果敢さが消えてしまった。リハビリ中から守備の不安を解消するため、俊足を活かして外野手に転向した。1999年のリーグ優勝にも主力選手として多く出場したが、外人枠を使用することを考えると、成績は芳しくなく、2001年には強力な外野陣に割って入れず、扱いを不満として中途退団した。その後帰国し、ヘテ・タイガースを買収した起亜タイガースに再入団、2007年現在在籍中。
2006年WBC韓国代表に選出され(主将)、大会での活躍が認められ外野のベストナインに選ばれた。
[編集] 日本通算成績
- 311試合 打率.261 27本塁打 99打点 53盗塁
[編集] 韓国通算成績
- 1195試合 4605打数 打率.311 179本塁打 581打点 482盗塁 913得点 511四球 78死球 453三振 (2006年公式戦終了時点)
[編集] 年度別成績
シーズン | 出場試合 | 打数 | 安打 | 打率 | 打点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 盗塁 | 四球 | 死球 |
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中日ドラゴンズ | |||||||||||
1998年 | 67 | 244 | 69 | .283 | 29 | 11 | 3 | 10 | 18 | 36 | 6 |
1999年 | 123 | 424 | 101 | .238 | 33 | 20 | 5 | 9 | 24 | 38 | 7 |
2000年 | 113 | 414 | 114 | .275 | 37 | 26 | 2 | 8 | 11 | 28 | 8 |
2001年 | 8 | 13 | 2 | .154 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
通算 | 311 | 1095 | 286 | .261 | 99 | 58 | 10 | 27 | 53 | 102 | 21 |
[編集] 韓国での獲得タイトル・記録
- 首位打者:1回(1994年)
- 盗塁王:4回(1994年、1996年、1997年、2004年)
- MVP:1回(1994年)
- 韓国シリーズMVP:2回(1993年、1997年)
- 最多安打:1回(1994年)
- 最高出塁率:1回(1994年)
- 最多得点:5回(1993年、1994年、1996年、1997年、2003年)
- ゴールデングラブ賞(韓国):6回(1993、1994、1996年、1997年、2002年、2003年)
[編集] 所属球団
[編集] その他
- 韓国ヘテ時代、宣銅烈と球団歌のレコードを出したことがある。
- 日本では盗塁を成功させる度に、忍者をイメージしたシールをヘルメットに貼っていた。
- 李鐘範と名前を誤記されることが多いが、正しくは李鍾範(金へんに重)である。
- NHKでは「リー」とカタカナ表記だったのに対して民放各局では「李」と漢字表記だった。(NHKでは通常、朝鮮名に対し漢字表記はしない)
- 1998年に中日に入団した際の背番号は8だったが、翌1999年のシーズン中に本人の希望で森野将彦と背番号を交換し、7となった。
- 始球式が好きではないらしく、韓国リーグ在籍時に女性タレントが始球式をつとめた際、その投球を思い切りセンター返しで打ち返し、女性タレントの顔の脇をボールが通り過ぎ、あわや大怪我という事があった。始球式が嫌いな理由は不明。
[編集] 関連項目
2006 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表 |
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1 孫敏漢 | 3 朴鎮萬 | 6 金在杰 | 7 李鍾範 | 9 李炳圭 | 11 崔熙涉 | 12 宋志晩 | 14 金敏宰 | 15 具臺晟 | 16 金鍾國 | 17 吳昇桓 | 18 金東柱 | 20 陳甲龍 | 21 鄭大炫 | 22 洪性炘 | 25 李承燁 | 26 徐在応 | 27 朴明桓 | 28 全炳斗 | 33 朴龍澤 | 35 李晋暎 | 36 裵英洙 | 41 鄭載勳 | 44 趙寅成 | 45 奉重根 | 49 金炳賢 | 51 金善宇 | 52 金泰均 | 55 李机浩 | 61 朴賛浩 | |
81 監督 金寅植 | 70 金在博 | 75 柳仲逸 | 76 柳志炫 | 80 曹凡鉉 | 90 宣銅烈 | 項 | |