東京行幸
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東京行幸(とうきょうぎょうこう)とは、1868年(明治元年)と翌1869年(明治二年)の2回に渡って行われた東京への行幸である。東幸ともいう。
「行幸」とは、あくまでも天皇の外出のことであり、その体を装ってはいるものの、明治元年の東幸では明治天皇が「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を発して、東京で政務を執ることを宣言し、翌年の東幸以降、帝は京都へは戻らなかったので、実質的には東京への遷都とみなされるべきものであった。これと太政官の東京移転をもってとされることが多い。
あくまでも「行幸」と言う形態をとっていること、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」の中で「遷都」という言葉を用いずに「奠都」と言う言葉を用いた事、高御座を京都御所から移さなかったことから、あくまでも日本の首都は京都であるという議論が存在する。
[編集] 関連項目
- 大阪行幸
- 日本の首都
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