東北工程
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東北工程(とうほくこうてい)とは、中華人民共和国において1997年から開始された歴史研究プロジェクトをさす。2000年以後になりその研究成果が海外のメディアにも公表されるようになったが、その中で高句麗と渤海を中国史の地方政権とした扱いに対して、韓国国内で激しい抗議が発生し、中韓間の外交問題に発展した。
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[編集] 歴史
1996年に中国社会科学院において中国東北部・旧満州における歴史研究を重点研究課題とすることが決定された。この研究プロジェクトは東北工程と称され、2002年から研究が本格的に開始された。当初の計画においては2007年2月に全課程が終了する予定となっている。
研究においては、中国国内における高句麗遺跡の調査および整備が行われた。さらに広開土王碑と将軍塚の世界遺産への推薦を行い、2004年7月1日に蘇州で開催された世界遺産委員会において、高句麗前期の都城と古墳が世界遺産に登録された。翌日の新華社通信においては、「高句麗は歴代中国王朝と隷属の関係にあり、中原王朝の管轄にあった地方政権」と報道されている。さらに中国外務省のホームページにおける朝鮮史の項目において高句麗の記述が削除されるなど、中国国内では高句麗を中国史として扱おうとする傾向が強まった。
中国政府がこのようなプロジェクトを開始させた理由として、冷戦崩壊後に世界各地で顕在化した民族主義が中国国内にも波及するのを防ごうとした為であるとする意見も存在する。それによると中国の歴史学では、現在の国家体制を重視し、過去に存在した諸民族の国家を中華主義を利用して包摂し、中華民族史としようと目論んでいるとされる。[1]
[編集] 韓国・北朝鮮の反応
2000年に入り、韓国のメディアにおいて東北工程の存在とその研究内容が伝えられるようになった。高句麗は朝鮮史に含まれるとの信念を有していた韓国の民間人や政治家、さらには歴史研究者までもが、東北工程に対する激しい抗議をおこなった。学会においては「中国の高句麗史歪曲対策委員会」が組織され、これを基に「高句麗研究財団」が設立された。 [2]
2006年に入ると新たに渤海および白頭山の「歴史的帰属」にまで問題は拡大した。加熱する韓国国内での対応に対して、2004年8月に両国政府間で「歴史解釈の問題が政治争点化することを阻む」との合意が行われた。対中外交を重視する盧武鉉大統領は東北工程は中国政府の公式認識ではないとして長い間公式の抗議を行わなかったが、[3] メディアにおいて政府批判が強まった為、2006年9月ヘルシンキで開催されたASEM首脳会議において、中国の温家宝首相に「学術研究機関次元だとしても両国関係に否定的な影響を及ぼすことがあり得る」との抗議を行った。[4]
このような韓国内での反発とは対照的に、北朝鮮は全く反応を示していない。在日本朝鮮人総連合会 (朝鮮総連) の機関紙である朝鮮新報において、「中国が高句麗史を自国史に編入しようとしているのは露骨な歴史歪曲」であると示されていたのが唯一の対応である。[5]
[編集] 参照
- ^ 東北工程の行く末, 森川展昭, 青丘文庫月報, 第195号, 2005.4.1, 青丘文庫は兵庫県に本部を有する歴史研究会。創立者は朝鮮出身者であり、リンク先の文章は韓国よりの意見が含まれる。
- ^ 2004年になって、竹島領有の正当性を補強するために設立された北東アジア歴史財団と統合されている。
- ^ 中国には何も言えない盧大統領, 朝鮮日報, 2006/09/09
- ^ 東北工程/“高句麗帰属問題”で韓国・北朝鮮と軋轢, 現代中国ライブラリィ
- ^ 「東北工程」に沈黙する北朝鮮, 朝鮮日報, 2006/09/10