松平信孝 (小島藩主)
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松平 信孝(まつだいら のぶなり、明暦元年(1655年) - 元禄3年10月17日(1690年11月17日))は、駿河小島藩の初代藩主。丹波篠山藩主・松平典信の庶長子。正室は石川乗政の娘。官位は従五位下、但馬守、安房守。
寛文11年(1671年)、駿府城代であった松平重信の養嗣子となり、延宝元年(1673年)の重信の死去で家督を継いだ。その後、小姓組番頭・御側衆・御書院番頭・若年寄と栄進し、加増も受けて元禄2年(1689年)には合計1万石の大名となって諸侯に列したことから、小島藩主となった。しかし翌年10月に36歳で死去し、後を養嗣子の松平信治が継いだ。法号:源松院殿尊誉一法大居士。墓所:東京都台東区下谷の英信寺。
信孝は有能な人物であり、史書においても「領内に善政を布き、領民を思いやる、そして文武両道の名君であった。しかし若くして病死したことが惜しまれる」と評されている。
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