松平正義
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松平 正義(まつだいら まさよし)は、江戸時代の大名。上総大多喜藩の第7代藩主。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 文化3年(1806年) | |||
死没 | 天保8年7月11日(1837年8月11日) | |||
別名 | 与之助(幼名) | |||
官位 | 従五位下、備前守。備中守 | |||
藩 | 上総大多喜藩主 | |||
氏族 | 松平氏(大河内氏) | |||
父母 | 父:松平正路、養父:松平正敬 | |||
兄弟 | 松平正敬、松平正義 | |||
妻 | 正室:松平頼慎の5女・英 継室:本多忠升の長女・尚 |
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子 | 娘(建部政和室)、養子:松平正和 |
文化3年(1806年)、第5代藩主・正路の四男として生まれる。文政9年(1826年)9月27日、兄で第6代藩主の正敬の隠居により、その養子となって家督を継いで藩主となる。同年12月16日に叙任する。正義は学問を奨励し、大多喜城三の丸に望庵堂という学問所を創設し、藩士子弟の教育化に務めた。これは後に藩校・明善堂となる。
天保8年(1837年)7月11日に死去。享年32。後を養子の松平正和が継いだ。
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