松平知清
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松平 知清(まつだいら ちかきよ)は、江戸時代の大名。陸奥白河新田藩の初代藩主。
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時代 | 江戸時代前期から中期 | |||
生誕 | 天和2年(1682年) | |||
死没 | 享保6年閏7月10日(1721年9月1日) | |||
戒名 | 万丈院殿竜湛英門大居士 | |||
官位 | 従五位下、主殿頭 | |||
藩 | 陸奥白河新田藩主 | |||
氏族 | 松平氏 | |||
父母 | 父:松平直矩 | |||
兄弟 | 兄:松平基知、松平宣富 | |||
子 | 松平義知(のち松平明矩)、 松平宗矩、松平長煕 |
天和2年(1682年)、陸奥白河藩主・松平直矩の四男として生まれる。父の死後、家督は兄の基知が継いだが、正徳2年(1712年)3月に兄から1万石を分与されて、白河新田藩主となった。享保6年(1721年)閏7月10日に死去。享年40。墓所は東京都豊島区駒込の泰宗寺。
後を子の義知が継いだ。
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