松浦詮
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松浦 詮(まつら あきら、天保11年10月18日(1840年11月11日) - 明治41年(1908年)4月13日)は、肥前国平戸藩最後の第12代藩主(松浦家第37代当主)・茶人。第10代藩主・松浦熈の三男の松浦秋の長男。肥前守。正室は松浦晧の娘、継室は青山幸哉の娘。三女都子は伊達宗基伯爵夫人。
維新後の廃藩置県により誕生した平戸県の県知事。宮内省御用掛を経て貴族院議員となる。のち伯爵正二位勲二等に叙される。
1880年(明治13年)、現在の長崎県立猶興館高等学校の基礎となる猶興書院を設立。
肥前国平戸藩の第4代藩主・松浦鎮信(天祥)が興した武家茶道の流派である鎮信流を継承する、石州流鎮信派の家元でもある。婦女子教育の一貫としての茶道を女子学習院、日本女子大学その他の学校で指導した。
長崎県平戸市にある松浦史料博物館は詮の旧邸を改装したものである。
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