松浦晧
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松浦 晧(まつら ひかる、文化元年(1804年)10月 - 安政3年7月3日(1856年8月3日))は、肥前国平戸新田藩の第8代藩主。父は平戸藩の第9代藩主・松浦清(晧は四男)。正室は柳沢保光の娘。子に脩、娘(柳沢泰孝室)、娘(松浦詮室)。官位は従五位下、大和守、備後守、伊予守。
文化元年(1804年)10月生まれ。文化11年(1814年)、先代藩主の松浦良が嗣子なくして若死にしたため、翌年の正月に後を継いで藩主となった。嘉永3年(1850年)8月、家督を子の松浦脩に譲って隠居し、安政3年(1856年)7月3日に53歳で死去した。
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