板倉勝あき
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板倉 勝晙(いたくら かつあき、天明4年8月14日(1784年9月24日) - 文化元年7月8日(1804年8月13日))は、備中松山藩の第5代藩主。父は第4代藩主・板倉勝政(勝晙は四男)。母は戸田氏英の娘。正室は大村純鎮の娘。官位は従五位下。左近将監。周防守。
1784年8月10日生まれ。幼名は新十郎。1801年3月8日、父の隠居で家督を継ぐ。しかし1804年7月8日、熱中症にて21歳の若さで他界し、後を子の板倉勝職が継いだ。法号:大洞院殿雲山源竜大居士。墓所:愛知県西尾市貝吹町の長円寺。
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