林正十郎
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林 正十郎(はやし せいじゅうろう、文政7年(1824年) - 明治29年(1896年)2月24日)は、幕末の幕臣。翻訳家。後、欽次。
大阪近辺の郷士某の次男に生まれる。
天保11年(1840年)頃、大阪に奉公に出て、後にその商家へ婿入りするが没落。嘉永4年(1852年)頃に妻子を残して江戸へ向かう。
江戸市川塾(村上英俊塾とも)でフランス語を学び、文久元年(1861年)以前には蕃書調所の仏学助教授に就任。神田孝平、西周などが林の家に下宿していた。
兵術を高島秋帆に習ったこともあったらしい。
徳川幕府がフランス軍事顧問団を招くと、規則書の翻訳を任された。
戊辰戦争時には、会津藩の援軍として参戦。小銃製造などを扱う。会津にて戦死とされていたが生き延び、明治3年(1870年)に釈放されて、尾張藩の保護の下、迎曦塾を開設。元軍事顧問団デュブスケを教師の一人として雇う。
明治4年(1871年)の廃藩置県により尾張藩の保護を失うと、江戸へ戻って兵部省に出仕。引退して芝愛宕町で法律・農業学校を開設。茶園経営に成功する。
日本の慣習や仏教信仰などを一切否定して、当時のマスコミを大いに湧かせた。
明治29年、死去。享年73。
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