枚聞神社
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枚聞神社(ひらききじんじゃ)は鹿児島県指宿市にある神社。旧社格・国幣小社。薩摩国一宮だが、新田神社も「薩摩国一宮」を名乗っている。
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[編集] 由緒
創始の年月日は社伝でも不明であり、かなり古くからあった神社と考えられている。元々は開聞岳を神体とする山岳信仰に根ざした神社であったと考えられる。信頼できる史料での初出は『日本三代実録』貞観2年(860年)3月20日庚午条であり、少なくとも1200年ちかい歴史があると思われる。
鎌倉時代以降は新田神社と薩摩国一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げるようになる。戦国時代は島津氏の有力家臣であった頴娃氏の庇護下にあったが、元亀2年に「証恩寺崩れ」と言われるお家騒動が起こり、その巻き添えとなって社殿を失う。しかし、すぐに島津氏の庇護を受けて再興。現在の社殿は慶長15年(1610年)に島津義弘が寄進したものを天明7年に島津重豪が改築した物である。
しかし江戸時代には八幡神を合わせ祀った新田神社の方が次第に重く扱われるようになったらしく、明治23年には枚聞神社は「国幣小社」になったのに対し新田神社は「国幣中社」であった。
外洋に面した立地から古くから「航海神」としても崇められ、江戸時代以降は琉球からの使節の崇敬も集めるようになった。
[編集] 祭神
- オオヒルメムチノミコト(大日孁貴命) ※外に5男3女神を合祀しているが、明治時代以後、近隣の神社を統合した物である。
- オオヒルメムチはアマテラス(天照大神)の別名とされている。
[編集] 主な行事
- 神幸祭 10月16日
[編集] 所蔵文化財
- 松梅蒔絵櫛笥(国の重要文化財)
[編集] 関連項目
- 新田神社 (薩摩川内市) - 枚聞神社と薩摩国一宮の座を巡って争った神社
- 島津氏 - 戦国時代にこの神社の籤により作戦を決める
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