琉球
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琉球(りゅうきゅう)は、かつて沖縄島を中心に南西諸島の大半を占めた地域。
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[編集] 概要
「琉球」とは中国から与えられた呼称で、かつては台湾島を小琉球、沖縄島を大琉球と呼んでいたが、「溜求」などの表記もあり史書などでも両者が混同される事が多かった。明・清の時代あたりから台湾島は台湾と呼ばれるようになり小琉球という呼び名はあまりされなくなった。
日本では8世紀から「阿児奈波(おきなわ)」(『唐大和上東征伝』)として知られていた。「沖縄」の当て字は、新井白石が『南島伝』(1719)で「沖縄」と書いたのが最初である。
沖縄本島では、三山時代といわれる有力者の抗争を経て15世紀中頃に国家の統一を果たし、中国(明)皇帝の認証を得て、自らを琉球国と公称する独立国となった(琉球王国)。この呼称は1429年(応永32)から1879年(明治12)までの約450年用いられた。朝鮮・中国・日本・東南アジア諸国・スペイン等の国との中継貿易によって栄えた。琉球王国は建国の経緯から明(のちに清)を宗主国としていたが、1609年に薩摩藩の侵略を受けて日中両属となった後、1872~79年にかけての琉球処分により、完全に日本に併合された。
しかし、その後も「琉球」は奄美諸島から波照間の先島にかけての南西諸島を中心とする島嶼群の総称(琉球弧とも呼ばれる)として使用され続け、第二次大戦後、アメリカは上記の歴史的経緯と政治的理由から、沖縄県を中心とする旧琉球王国領を日本とは分離し、琉球政府を置いて軍政をしいた。アメリカ側には一時期、「琉球国」として日本からの分離独立を目指す意図もみられたが、県民の強い意向により、1953年に奄美諸島、次いで1972年に残る全域が「沖縄県」として日本帰属を回復し、現在に至っている。
以上の経緯を持つ「琉球」の呼称は、現在も広く沖縄の人々に親しまれ、使われている。
台湾の中華民国政府は、1972年(昭和47)5月15日の沖縄返還が、日米間の取り決めだけで進められた経緯に不満を持ち、日本への沖縄の最終的帰属を正式に認めず、「琉球」の表記を使用し続けており、沖縄知事から台湾に宛てられる公文書には現在も「琉球」の自称が続けられている。
歴史については沖縄の歴史を参照のこと
[編集] 「琉球」を冠した企業など
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