根鈴雄次
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根鈴 雄次(ねれい ゆうじ、1973年8月9日 - )は独立リーグである北信越ベースボールチャレンジリーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに所属している野球選手・コーチである。ポジションは外野手で、打撃コーチを兼任している。東京都出身。
[編集] 来歴
- 日本大学藤沢高等学校を中退後、10代で渡米。その後帰国し、東京都立新宿山吹高等学校(単位制高校)に入学。同高校卒業後、指定校推薦で法政大学法学部に進学すると同時に、法政大学野球部に入部。東京六大学野球リーグでは主に代打で活躍する。2000年に法政大学卒業後再度渡米。マイナーリーグからメジャーリーグ昇格を目指す。その後はカナディアン・ベースボール・リーグ、ジャパン・サムライ・ベアーズ、オランダのフーフト・クラッセなどでプレーした。
[編集] 逸話
- 日大藤沢高校では一年時からレギュラーで4番を努めるほどの実力があったが、体育会系部活にありがちな上下関係に対する嫌悪感や両親の離婚からの家族不和など多くの問題を抱えていたことから自立神経失調症を患い、不登校→留年→退学となる。
- 日大藤沢高校中退後の一度目の渡米で地元の高校入学を目指したものの、既に18歳を過ぎていた為に入学は許可されず、語学学校に通いながらバッティングセンターに通う日々を送り、団野村氏との出会いからスカウティングリーグでのプレーを勧められる。スカウティングリーグでは、後に大打者になるジェフ・ケント(現ロサンゼルス・ドジャース)と共にプレーしたが「明らかに抜きに出た存在で、化け物だと思った」と語っている。スカウティングリーグは日々解雇される選手が出るほどの厳しい篩にかけられるが、シーズン終了までチームに在籍することに成功しマイナーリーグからのスカウトもあったが、ビザの期限切れから帰国を余儀なくされる。
- 1998年(平成10年)には、東京六大学野球春のリーグ戦・対慶應義塾大学一回戦で史上2人目の代打逆転サヨナラホームランを放つ。
- 大学卒業後のマイナーリーグ時代には大家友和からホームランを放つ。
- マイナーリーグではメジャーリーグ直前の3A(エクスポズ傘下3Aオタワ)まで昇格した。
- 2000年に3A(エクスポズ傘下3Aオタワ)でそれなりの結果を出し、2001年の開幕からメジャー昇格も十分ありえる位置にいたが開幕直前に解雇される。メジャーでは結果を出していてもチーム構想からの突然の解雇・トレードはよくある話だが、2001年からメジャー挑戦をするイチローを「日本人初の野手メジャーリーガー」にする為の工作行為ではないかという憶測も一部マスコミでされた。
- 以前千葉ロッテマリーンズにドラフト指名される予定であったが、諸事情により断念された。
[編集] 関連項目
新潟アルビレックスBC - 2007 |
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0 野原良平 | 1 選手兼コーチ 根鈴雄次 | 2 山田悠斗 | 3 武田翔平 | 4 阿部康生 | 5 登石卓 | 6 山野辺寛明 | 7 笠原賢治 | 8 頓所大輔 | 9 伊藤健 | 11 筒井裕人 | 12 柳田博基 | 15 大野武洋 | 16 徳田一平 | 18 鴨下瞬 | 19 藤野仁 | 20 谷合伸郷 | 21 前田真宏 | 23 渡辺裕央 | 24 小西翔 | 27 米田和弘 | 36 木ノ内正樹 | 42 矢野新祐 |53 宮本晋伍 |55 藤井了
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