桂宮
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桂宮(かつらのみや)は、宮家の一つで、四世襲親王家の一つ。桃山時代に創設され、明治時代に断絶した。昭和時代に同名の宮家が創設された。
桂宮家は、正親町天皇の第一皇子である誠仁親王の第六皇子・智仁親王を祖とし、当初は八条宮家と称した。智仁親王は初め豊臣秀吉の養子となったが、秀吉に実子が生まれたため、養子縁組を取消し八条宮家を創設したものである。智仁親王が作った別荘が有名な桂離宮である。その桂離宮が京都八条通にあったことから八条宮家の称がはじまった。
5代の尚仁親王に継嗣がなく、霊元天皇の皇子である作宮が継承して常磐井宮を称したが夭折し、兄の文仁親王が跡を継いで京極宮に改称した。
9代・公仁親王の歿後、一旦空主となるが、光格天皇の皇子・盛仁親王が継承して桂宮に改称した。盛仁親王の歿後再び空主となった。盛仁親王の兄である仁孝天皇の皇子・節仁親王が継ぐが夭折して空主となる。1862年(文久2年)に姉の淑子内親王が継ぎ、1881年(明治14年)に歿して桂宮は断絶した。京都御苑内にあった御殿は、そのほとんどが、当時、皇室の離宮であった二条城に移築され、二条城が徳川家の城から皇室の城へと変ったことの、シンボルとして利用された。
1988年(昭和63年)、三笠宮崇仁親王の第2皇子である宜仁親王が新宮家を創設し、同名の桂宮を称した。これは、宜仁親王の印にちなむものであり、かつてあった桂宮との直接の関係はない。
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[編集] 系譜
[編集] 八条宮
- 【1】 智仁親王(誠仁親王の皇子、後陽成天皇の皇弟)
- 【2】 智忠親王(智仁親王の王子)
- 【3】 穏仁親王(後水尾天皇の皇子)
- 【4】 長仁親王(後西天皇の皇子)
- 【5】 尚仁親王(後西天皇の皇子、長仁親王の弟)
[編集] 常磐井宮
[編集] 京極宮
[編集] 桂宮
百六 百七 百八 百十一 八十宮四 正親町天皇─誠仁親王┬後陽成天皇─後水尾天皇┬後西天皇┬長仁親王 │八十宮一 八十宮二 │八十宮三 │八十宮五 └智仁親王─智忠親王 ├穏仁親王└尚仁親王 ┌─────────────────────┘ │百十二 百十三 閑院宮一 閑院宮二 百十九 百二十 桂宮三十二 └霊元天皇┬東山天皇─直仁親王─典仁親王─光格天皇┬仁孝天皇┬淑子内親王 │京極宮一七 京極宮二八 京極宮三九 │桂宮一十 │桂宮二十一 ├文仁親王─家仁親王─公仁親王 └盛仁親王└節仁親王 │常磐井宮六 ┃ └作宮 寿子(紀伊徳川宗直女)