桃中軒雲右衛門
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桃中軒 雲右衛門(とうちゅうけん くもえもん、1873年 - 1916年11月7日)は、明治時代後期の浪曲師。本名は岡本峰吉。茨城県出身。父は地方回りの祭文語りをしていた吉川繁吉。
1903年(明治36年)辛亥革命の協力者宮崎滔天(みやざきとうてん)や超国家主義団体玄洋社の後援で「義士伝」を完成させる。武士道鼓吹を旗印に掲げ、1907年(明治40年)には大阪中座や東京本郷座で大入りをとった。息の詰まった豪快な語り口が、それまで寄席芸であった浪曲を劇場への進出を可能にし、浪曲そのものも社会の各階級へ急速に浸透していった。晩年は病気となり、極貧のうちになくなった。
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