桜橋 (大阪市北区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
桜橋(さくらばし)は、明治末期まで大阪市北区にあった蜆(しじみ)川に架かっていた橋である。現在でも桜橋交差点として名称が残っている。
[編集] 蜆川
シジミが多く取れていたとのことから、或いは改修が繰り返されて川幅が狭まったために「縮み川」から「しじみ川」となったと言う説がある。蜆川と呼び習わされることが多いが、正式には曾根崎川と言う。 大江橋上流部で堂島川より分流し、北新地界隈を経て、船津橋付近で再び堂島川と合流していた。 1909年(明治42年)の大火で発生した瓦礫の捨て場となってからは、上流部から埋め立てられていき、1924年(大正13年)には姿を消した。 近松門左衛門の名作、「曾根崎心中」や「心中天網島」にも登場し、地元では馴染みの深い川でもあった。