椙杜隆康
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椙杜 隆康(すぎもり たかやす 生没年不詳)は大内氏、後に毛利氏家臣。父は椙杜房康。弟に椙杜元勝・椙杜元種がいる。養子に椙杜元秋・椙杜元縁。
大内義隆の家臣であったが、1551年に陶隆房によって大内義隆が弑逆されるとそれに従った。しかし心中に含むものがあったらしく、1555年の厳島の戦いで陶晴賢が討死し、毛利元就が周防国へと侵攻すると、積極的に毛利氏に加担している。
この時、積極的に毛利氏を支援したため、毛利元就より感状と起請文を受領している。
椙杜隆康には子がなかったため、毛利元就の子である元秋を養子に迎えている。しかし元秋が月山富田城主になったため、その弟の毛利元康が家督を継いだ。
1585年、毛利元秋が月山富田城で病死すると、その後任として元康が任じられ、またもや椙杜氏の家督は空になってしまう。その後毛利氏の重臣志道元保の子の志道元縁を養子としている。