武田信成
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武田 信成(たけだ のぶなり、生年不詳 - 応永元年(1394年))は、南北朝時代の武将。甲斐武田氏の第11代当主。第10代当主・武田信武の子。第12代当主・武田信春の父。安芸武田氏当主武田氏信の兄。
南北朝の争乱においては父信武とともに北朝方の武士として活動した。 1359年に父が病没し、甲斐の武田本家の家督を継いだ。 1370年には、足利義満の命を受け、大蔵経寺(現在の山梨県笛吹市)の伽藍を改築するなどしている。
清道院(現在の山梨県笛吹市)は信成(または15代当主信守)の館の跡と伝わり、そこには信成の妻の墓と彼女が身投げしたという井戸が存在する。
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