武田信清
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武田 信清(たけだ のぶきよ、永禄3年(1560年) - 寛永19年3月21日(1642年4月20日))は戦国時代の武将。武田信玄の六男(七男説も)。母は禰津御寮人と言われるが確証はない。異母姉に菊姫(上杉景勝室)がいる。幼名は大勝。
[編集] 生涯
- 巨摩郡加賀美の法善寺に入り玄竜と号していた。後に兄・勝頼の命令で、信州の旧族・安田氏の名跡を継承。安田三郎信清と名乗り、海野城の城主となる。
- 1582年の武田氏滅亡後、姉の縁を頼り上杉氏に寄寓し、そのまま上杉氏に仕え、高家衆筆頭として3300石を賜った。後に武田姓に復帰。1642年、83歳で死去。法名は虎山玄竜居士。
[編集] 関連項目
- 米沢武田家 [1]
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