武田護信
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武田護信(たけだ もりのぶ、安永8年(1779年) - 安政5年9月17日(1858年10月23日))は、江戸時代の高家旗本。高家旗本武田信明の長男。生母は長沢氏。通称は虎之助、織部、鼎山。
天明8年(1788年)12月2日父信明の死去により、家督を相続する。表高家衆に列したものの、生涯高家職に就くことはなかった。寛政8年(1796年)8月15日将軍徳川家斉に御目見する。文化5年(1808年)4月6日隠居し、養子信典に家督を譲る。以後、鼎山と称する。安政5年(1858年)9月17日死去、享年80。
正室は柳沢吉里の七男青木信周の娘かた。なお、大塩平八郎の乱に際し、かたは反乱に加わった小泉淵次郎の親類であり、調査対象になったものの、お構い無しとされる。養子信典(実父松平頼亮)あり。
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