死んだふり解散
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死んだふり解散(しんだふりかいさん)は1986年6月2日の衆議院解散の通称。
[編集] 概説
1986年の第2次中曽根内閣第2次改造内閣は党内基盤が磐石ではないものの、世論調査では高い内閣支持率を保っており、任期4年目に突入していた。その頃は前回の衆院選の裁判において、最高裁が議員定数不均衡を理由にした違憲判決を出しており、議員定数是正の問題が残っていた。
中曽根康弘首相は定数是正の周知期間を設け、解散は無理だと思わせておきながら、議員定数の問題を解決した。
その後、6月2日に閣議で衆議院解散を決定した。本会議を開かずに議長応接室に各会派の代表を集め、解散詔書を坂田道太衆議院議長が朗読して衆議院解散となった。
そして、7月6日の参院選と同時に衆院選の投票することを決定し、衆参同日選挙となった。
この選挙において内閣支持率も高く、選挙対策をきっちり行っていた与党自民党が圧勝した。そして、この中曽根首相の功績によって、自民党は当時任期満了間近だった総裁任期を1年延長する規定が設けられた。
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