毛利元尭
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毛利 元尭(もうり もとたか、元禄15年8月16日(1702年9月7日) - 享保6年2月11日(1721年3月8日))は、周防国徳山藩の第4代藩主。父は第3代藩主・毛利元次(元尭は次男)。母は蓮性院。官位は従五位下、日向守。
1702年8月16日、徳山で生まれる。幼名は亀松。1715年に徳山藩が万役山騒動が原因で改易されたため、身柄を本家の長州藩に預けられた。しかし1719年5月、家臣団の努力により徳山藩の再興を幕府より許されて、3万石の徳山藩主となった。その後は改易されていた徳山藩政の再建を目指すが、1721年2月11日に疱瘡が原因で他界した。享年20。弟の毛利広豊が後を継いだ。法号:豪徳院殿家山紹運大居士。墓所:東京都港区愛宕の青松寺。
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