水島武蔵
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水島武蔵(みずしま・むさし 1964年9月10日-)は東京都出身の日本のサッカー選手・指導者である。
日本で出生しながらも、幼少期にブラジルに渡りサンパウロFCのユースチームで武者修行し、1984年カンピオナット・ブラジレイロ(ブラジル全国リーグ戦)1部で初の日本人選手としてプレー。(但し、当時ブラジルでは国内リーグ戦に出場する場合、規定によりブラジル国籍を取得することが必要だったので、ブラジル国籍に帰化した上で出場した)
その後サンパウロ州のローカルクラブ・サンベント、そしてブラジレイロ1部の名門ポルトゲーザと渡り歩き、1989年に日本サッカーリーグ・日立サッカー部(現・柏レイソル)に入部。逆輸入選手という形で話題になった。日立在籍時はブラジル国籍を持っていたため外国人枠の扱いでの出場だった。その後1991年に全日空フットボールクラブ→横浜フリューゲルスに移籍したが、1992年を最後に現役引退。
引退後は、横浜FCユース初代監督、横浜FCテクニカルディレクター等を務め、キャリアを着実に積み、2006年9月、日本サッカー協会公認S級コーチに認定された。日本サッカー界のさらなる飛躍のため、期待されている若手指導者の一人である。サッカー解説者としても知られ、衛星放送等の中継番組での、解説力には定評がある。
[編集] 経歴
[編集] 現役時代
- 1971年-1975年 - 清水FC
- 1975年-1979年 - サンパウロFC少年部
- 1979年-1984年 - サンパウロFC育成部
- 1984年-1985年 - サンパウロFC
- 1986年 - サンベントFC
- 1987年-1988年 - ポルトゲーザFC
- 1989年-1990年 - 日立製作所サッカー部
- 1991年-1992年 - ASフリューゲルス
[編集] その他
少年時代については、集英社から1981年1月に『ムサシ、世界へ翔ぶ』のタイトルで 刊行された単行本(翌年5月集英社コバルト文庫化)が詳しい。著者の草鹿宏には、下記のように「翼」を題名に加えたノンフィクションの代表的著作がある。
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- ・『跳べイカロスの翼』(青春のロマンをピエロに賭けた若者の愛と死)1978年 一光社
- ・『勇者に翼ありて』(アメリカン・フットボールの名QB猿木唯資・車椅子の青春)1980年 一光社
- ・『跳べイカロスの翼』(青春のロマンをピエロに賭けた若者の愛と死)1978年 一光社
1981年春には、水島武蔵をモデルに創作された大ヒット漫画キャプテン翼が、同じ集英社の週刊少年ジャンプで連載開始。作品中には、主人公大空翼の因縁のライバルとして、(武蔵の名前をヒントにした)「小次郎」が登場する。
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