水野忠任
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水野 忠任(みずの ただとう、享保19年(1734年) - 文化8年12月30日(1812年2月12日))は江戸時代後期の大名。三河国岡崎藩第7代藩主。肥前国唐津藩初代藩主。忠元系水野家8代。藩祖・水野忠元の弟・水野守重の子孫である水野守満の次男。正室は水野忠辰の娘。官位は従五位下、織部正、和泉守。
宝暦元年(1751年)に先代藩主・忠辰の養子となるが、翌宝暦2年(1752年)、忠辰が乱心・強制隠居となったため家督を相続。宝暦12年(1762年)、肥前唐津藩に転封された。安永4年(1775年)に家督を養子・水野忠鼎に譲り隠居。文化8年(1811年)死去した。
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