水野忠春
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水野 忠春(みずの ただはる、寛永18年5月13日(1641年6月21日) - 元禄5年10月15日(1692年11月22日))は、江戸時代前期の大名。三河国岡崎藩の2代藩主。忠元系水野家3代。水野忠善の長男。母は井上正就の娘。正室は前田利次の娘。子は水野忠直(長男)、水野忠盈(次男)、水野忠之(四男)、水野重富(六男)。従五位下、右衛門大夫。
慶安4年(1651年)将軍・徳川家綱に目通りし、承応3年(1654年)任官。延宝4年(1676年)、父・忠善の死により家督を相続する。天和元年(1681年)、奏者番兼寺社奉行に任じられ、貞享2年(1685年)まで勤めた。元禄5年(1692年)、江戸において死去。長男・忠直が早世しており、後は次男・忠盈が継いだ。
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