ノート:江戸時代
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[編集] 時代区分に関して
概要の時代区分に関して現在の記事では、初期、中期、末期となっていますが、適切ではないように思います。
以上のような区分が一般的ではないかと思われます。ただし、この通りに編集し直すと中期から後期にかけての記事が不足していることに気付かされます。また幕末の記事がやや多いかと思いますし、戊辰戦争については明治期に区分されるべきで、なおかつ独立記事として既に存在していますのでカットしてもいいかと思います。
なお、初期という区分は前期のうちの50年間、末期は嘉永以降の20年間を指しますが区分を5つに分けるのではなく、飽くまで3区分の中で敢えてそのように呼称しているに過ぎません。
以上のように考えていますがいかがでしょうか?--萬卯 2007年1月10日 (水) 08:22 (UTC)
(コメント)萬卯さんの区分だと江戸時代前期が1~7代だと将軍の半分を占めてしまいます。江戸時代は為政者により、徳川家康~徳川家光の時期(武断政治)、徳川家綱~徳川家継の時期(文治政治)、徳川吉宗~徳川家慶の時期、幕末に分けた方がいいと思います。ただ、内政に関しては薩長土肥の藩政改革、外交に関しては徳川家斉・家慶の頃にロシア帝国、イギリス、アメリカが日本近海にやってきて1853年ペリー来航につながるという連続性は考慮する必要があります。--Wushi 2007年1月21日 (日) 04:50 (UTC)
- この時代区分は、中野三敏氏の説によっています(『江戸文化評判記』中央新書、4 - 5p、ISBN 412101099)。それによると江戸時代を人間の成長に譬えて、人格形成期、成熟期、老衰期に分けることを提案しています。江戸時代は三世紀にわたっているので、享保の改革前と寛政の改革後に区切りをいれるとわかりやすいとしています。この説には橋口候之介氏なども賛同しています(『和本入門』平凡社、70-71p、ISBN 458283292)。ただし、学会でこのような区分について定説があるのかどうかは知りません。
- ぼくがことさらこの時代区分についてこだわるのには理由があります。というのは、江戸時代の人物や事物の記事について多くの場合、冒頭でこの時代区分に触れています。たとえば、「青木昆陽は、江戸時代中期の儒学者、蘭学者である。」というような記述を使います。しかし、この時代区分が曖昧であるため執筆者の間に混乱があるように思えます。もし、この「江戸時代」という記事項目の中で明確な時代区分が行えるのであればこのような混乱を防ぐ事ができ、有益ではないかと考えたわけです。Wushiさんの区分法に史学的な立場から異論があるわけではないのですが、上記のような立場からですと利用しにくい区分のように感じます。この問題に関してまだまだ議論の余地があるのではないかと思いますので多くの方のご意見を頂戴できればと思います。
- なお、戊辰戦争については上記のような理由で一旦カットさせていただきます。もし不都合であればご意見ください。--萬卯 2007年1月21日 (日) 08:05 (UTC)
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- (コメント)私は、江戸時代の専門家ではない為、萬卯さんが掲げられている学説(根拠もはっきりしていてこちらは目からうろこです)があるとは知りませんでした。上記の区分ならば、私が留意した外交や藩政改革、明治維新にいたる連続性は解消されますね(徳川家斉の治世だけが二分されますが、松平定信が政治をした6年間とそのあとの大御所時代は政治の性格も違うのでいいでしょう。昭和天皇の時代も第二次世界大戦で区分されるから別にいいかも知れまれせん)。他にも専門家の意見が聞きたいです。そういえば山川出版社の教科書はどうなっているのかしら。それにしても、今、登録されている内容の中期は徳川吉宗、田沼意次、松平定信、水野忠邦の名前が挙がっていないので補強の必要性がありますね。一先ず、文治政治の項目を補強の最中ですので、ご指摘・協力のほど宜しくお願いします。--Wushi 2007年1月21日 (日) 08:29 (UTC)
- (追記)戊辰戦争のみの記述は確かに変です。加筆するとしたら、大政奉還→王政復古の大号令→戊辰戦争(その過程のなかで江戸幕府滅亡)の一文くらいでいいと思いますが如何でしょうか?--Wushi 2007年1月21日 (日) 14:22 (UTC)
- Wushiさん、早速のコメントありがとうございます。またご同意していただけてよかったです。この時代区分に関してある程度の総意が出て来た頃にそのような方向で加筆修正できればと思いますが、わたし自身江戸時代について専門的な知識をもっているわけではございませんので、記事内容につきましては是非、ご協力をいただければ幸いです。どうかよろしくお願いします。
- 文治政治について拝見しました。将軍別に時代の特徴をうまく書き表されているものと感心しております。
- 戊辰戦争につきましては思い切ってカットしてしまいました。追記していただいた方向で加筆いただけるならたいへん嬉しいです。--萬卯 2007年1月21日 (日) 14:48 (UTC)
- (コメント)萬卯さん、上記の方向で、長州藩の時系列整理を兼ねて加筆してみました。ログインしないで加筆してしまいましたが211.127.76.219は私です。 禁門の変→第一次長州征伐(これまで幕府軍の負けという形はおかしいと思いました)&四国艦隊下関砲撃事件→薩長同盟→第二次長州征伐→倒幕の流れです。長州藩の動きがエポックメイキングと書いてあった記述はあまりにも主観が入りすぎていると考え事実を淡々と並べる形式に変更しています(出典があれば書いてもいいんでしょうけど)。それにしても、時代が時代だから仕方ないかもしれませんけど、江戸時代末期は冗長になってしまいますね。--Wushi 2007年1月27日 (土) 03:33 (UTC)
身分制度として、えた、ひにんの存在を記述することは、不適当とは思いませんが、”ひにん”は”ひみん”とも言うのでしょうか?。”ひみん”という用語は聞いたことがないので、検索してみると”ひみん”という言い方も存在するようなのですが、、、?。219.108.13.211 14:09 2003年5月17日 (UTC)
えた、ひにんは「奴隷階級」でしょうか?。奴隷の本質は所有の客体となる点にあるとすると、えた、ひにんは奴隷とはいえないのではないかと。Falcosapiens 17:12 2003年5月17日 (UTC)
- えた・ひにんは、要するに農民への言い訳のための階級でした(まあまあ百姓さん、あんた達より辛い奴らもいるんだから……)。生ゴミ掃除や家畜の死体の処分を強制的にやらされ、穢多(穢れが多い)、非人(人にあらず)と言われ、後世まで影響を残しました。……が、確かにそこを突かれてくると、「奴隷(どれい)とは、ヒトでありながら所有の客体となる者、またはその階層や階級をいう。……人が人を所有するという奴隷制度は世界中どこにでも見られた。」という奴隷の記述を信じれば人に「所有」までされてはいませんでしたね。。--平山だいじゅ(talk page) 2005年9月4日 (日) 07:19 (UTC)
奴隷と賎民は違うと思います。--125.28.188.45 2007年3月19日 (月) 13:49 (UTC)
この記事は「江戸時代」ではなく、「徳川将軍家」や「江戸幕府」の説明になっていますね。徳川将軍一覧などはそちらへ移すべきでしょう。るがこむ 11:32 2003年6月23日 (UTC)
- 私が2ヶ月前に江戸時代の政治体制について書いてから、文の微修正こそあれど、ほぼそのまま残っているという記事ですね。私は素人ですので、軽くリサーチした程度の、本当にさらっと、しかも玉石混交の状態になってます(石だらけかもしれません…)。
- 移したいならどうぞ(私に止める権限などありません)。ただ、江戸時代の政治体制については簡単な記述があった方が望ましいと私は思います。おいおい「文化について」とかなどの感じで記述が増えることを望みたいです。G 15:18 2003年6月23日 (UTC)
分割してそれぞれスタブとかリストにしてしまうよりも、まとまってから分割した方が百科事典的なのでは、と思ったり思わなかったりします。suisui 16:09 2003年6月23日 (UTC)
[編集] 江戸時代の文化
文化・芸術の項目について、ただ漫然と並べるのでなく、ある程度項目わけして並べたいのですが。とりあえず美術の項目を知っている限りで分類列挙してみたのですが、いかがでしょうか。--赤井彗星 2006年9月7日 (木) 17:44 (UTC)